• 第36回(平成30年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

     

    白石 誠司 (しらいし まさし) 

     

    現職: 京都大学大学院工学研究科電子工学専攻 教授

    http://cmp.kuee.kyoto-u.ac.jp

    略歴:

    1991年 3月  京都大学工学部原子核工学科 卒業

    1993年 3月  京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻 修士課程修了

    1993年 4月  ソニー株式会社中央研究所研究員(2004年3月まで)

    1997年 6月  マックス・プランク固体研究所(ドイツ)客員研究員(1998年7月まで)

    2003年 1月  京都大学博士(工学)号取得

    2004年 4月  大阪大学大学院基礎工学研究科物質創成専攻助教授

    2007年 4月  同准教授

    2007年 5月  レーゲンスブルク大学客員教授(2007年8月まで)

    2007年10月  JSTさきがけ研究員兼任(2011年3月まで)

    2010年 4月  大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授

    2013年10月 - 2018年11月現在 京都大学大学院工学研究科電子工学専攻教授

     

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  • 研究業績:固体中のスピン流輸送とその物性における先駆的研究

     

    電子の持つ電荷という特性の流れである電流の生成と電荷の有無の記憶によって、エレクトロニクスという学問領域は20世紀に劇的な発展を遂げました。実は電子にはもう1つ、スピン、という小さな磁石としての特性を有しています。このスピンの流れを作ってスピンを記憶することで21世紀のエレクトロニクスとも言える新しい学問領域「スピントロニクス」が拓かれています。電荷とスピンの違いは、電荷は保存量(失われない量)であるのに対し、スピンは一定の距離・時間で失われる非保存量であることです。そのためスピンを運ぶ物質を十分に小さく加工できないとスピンの持つ情報を外に取り出せません。しかしナノテクノロジーの発展によってナノサイズの物質を作ることができるようになり、人類は電子の持つスピンという機能を自在に操作できるようになりました。中でも21世紀に爆発的に注目を集めているのが、このスピンの流れである「スピン流」です。基礎研究の観点ではスピン流の視点でこれまでの物理を見直すことで新しい効果の発見や素子の創出が可能という魅力があります。また応用の観点では電荷の正味の移動がなくスピンのみが流れるため情報伝達の際のエネルギー散逸を極めて小さくすることが可能という利点があります。私の研究成果はこのスピン流を、スピントランジスタなどの新しいスピン素子創出に適した半導体や2次元電子系、さらに今最も脚光を浴びる材料であるトポロジカル絶縁体などを舞台に生成・観測し、その基礎物性の理解や素子応用を実現した点にあります。
  • 記念講演:生体内ライブカメラで見る“動く細胞たち”の世界」

     

    *動画で記念講演をご覧いただけます。

     

     

     

  • 第36回大阪科学賞 記念講演

    固体中のスピン流輸送とその物性

    〜小さい磁石の流れを作ることの面白さ〜

    京都大学大学院工学研究科 教授 白石誠司
    1.はじめに 

     

     電子には、自由度、と呼ばれる特徴が主に2つあります。1つは電荷自由度と呼ばれるもので、-1.6×10-19クーロンの電荷量を持ちます。この量(の絶対値)は素電荷と呼ばれており、2倍、3倍にはなりますが、1/2、1/3にはなりません。こういう量を「量子化された量」と呼ぶことが多いですが、その理由は整数倍にしかならない(中途半端な大きさにならない)ためです。もう1つの電子の自由度がスピン角運動量という自由度で、これが本講演の中心となる物理量です。このスピン角運動量もまた量子化された量であり、電子の持つスピン角運動量の場合、+1/2と-1/2(正確にはこれに換算プランク定数と呼ばれる量がかかります)の2値をとります。このスピン角運動量は1924年にオーストリアの物理学者であるW. Pauliが初めて予言・提案した物理量で「古典的に記述不可能な2値性をもつ」量と予言されていました。その後1928年には、イギリスの物理学者であるP. Diracによって量子力学と相対性理論を統合した理論が構築され、その理論における運動方程式からスピン角運動量が自動的に導かれることが証明され、たしかに量子力学的にしか記述できない粒子(今の場合は電子)に内在する自由度であり、かつ2値性を持つことが証明されました。

     あれ?スピンって回転じゃないの?回転運動は古典的に記述できるはずじゃない?と思った方も多いことでしょう。「スピン」という言葉自体はフィギュアスケートなどでよく知られた言葉で、確かに回転を指す言葉です。しかしながら、スピン角運動量という物理量は直接には(電子の)回転運動とは結びつきません。その理由は電子が「素粒子」と呼ばれる粒子であることを思い出すと少し理解しやすくなります。素粒子物理学という分野は20世紀初頭から物理を愛する人々を魅了し続けている学問分野ですが、その分野で重視されていることの1つに「すべての粒子の基本となる粒子=これ以上分割できない(構成要素を細かく分割できない)粒子」を決定する、ということがあります。例えばクォークは現在の理論では3世代6種類存在するとされており、このクォークはこれ以上分割できない最小の構成要素となる粒子です。実は電子もまた素粒子なので、電子もまたこれ以上分割できない粒子ということになります。さて、ここで「これ以上分割できない」という表現が何をさすのか考えてみましょう。もし粒子に大きさがあれば、それは分割可能です(大きさが定義できるということは領域が存在することであり、領域が存在するということはその粒子はさらに小さい領域に分けられる、ということです)。ということは分割できない粒子は大きさがない、ということになることがおわかりでしょう。奇異に感じるかもしれませんが、事実、現代の物理学では素粒子には大きさがなく点として扱える、という理解が確立しています(ここで、理解が確立している、ということはこの理解を覆す実験的証拠は何1つ存在していない、ということを意味します)。つまり、電子には大きさがなく点である、ということになります。となると、大きさがないものの自転、というものをどう考えればいいでしょうか?地球が「自転」するのも浅田真央選手が「自転」するのも大きさがあるからですよね?でも電子は大きさがないので「自転」はできない。つまり、スピン角運動量、とは電子の自転による物理量ではない、ということがおわかりでしょう[1]

    2.スピントロニクスとスピン流

     

     さて、電子の持つこの2つの自由度である電荷とスピン角運動量ですが、それぞれを独立に利用することで産業は大きく発展してきました。まず電荷のほうは、その流れが電流であることを用いて電荷を情報の担い手として伝搬させ、さらに電荷を保持・記憶することで情報を記憶することで、携帯電話などに膨大な量搭載されているトランジスタなどの半導体素子を作り出すために活用されています。スピン角運動量のほうは実は磁石の源であり(物理の言葉でいうと「磁性」)極小の磁石とみなせます。磁石の機能はモーターの動作やハードディスクを使った情報の記憶に活用されてきました。このように固体物理学という学問で核となる半導体工学・磁気工学というそれぞれの分野で絶大な貢献をしてきた電子の2つの自由度ですが、20世紀の終わり頃からこの2つの自由度を同時に用いることで、全く新しい学問分野が開拓されました。それが「スピントロニクス」(スピンエレクトロニクスと呼ばれることもある)と呼ばれる分野であり、すでに磁気ヘッドや磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)などに応用もされています。そのスピントロニクス分野で21世紀に特に非常に重要な役割を果たすのがスピン流というスピン角運動量の流れです。

      スピン流を理解するためには電流との違いを理解することが大変重要です。電流とはすでに述べたように電子のもつ電荷自由度の流れです。実は電荷は「保存量」と呼ばれる量であり決して無くならない量です(電荷が保存量であることは大学2回生くらいで習う電磁気学で出てくるマクスウェル方程式という4つの方程式群から容易に導けます)。一方、スピン角運動量は「非保存量」と呼ばれる保存しない量で、事実固体物質の中でスピン角運動量を伝搬させようとしても一定の距離で消失し、この距離を「スピン緩和長」などと呼びます(図1(a)参照)。この保存量か非保存量かという違いは大変重要です。というのは、スピン角運動量の伝搬を観測するためにはこのスピン緩和長よりも小さい素子を作らないといけない、という制約が課されるからです(電荷の伝搬を観測するためにはこういう制約はありません)。もう1つ重要なのは、電流に含まれるスピン角運動量は一般に+1/2(上向き)と-1/2(下向き)が同数である、という点です。この場合は上向きと下向きのスピン角運動量が互いに補償しあうので、電流ではスピン角運動量という情報は運べません。しかしスピン流はスピン角運動量そのものの流れであるために、スピン角運動量という情報を小さな磁石の流れとして運ぶことができます。中でも図1(b)に示した「純スピン流」と呼ばれるスピン流はこれまでの物理学では登場しなかった全く新しい物理量の流れであり、そのために世界中で極めて高い関心を集め、非常に盛んに研究されています。

    【図1】(a) 電荷とスピン。保存量の観点からの図。(b) 電流と純スピン流の違い。

    【図1】(a) 電荷とスピン。保存量の観点からの図。(b) 電流と純スピン流の違い。

     ではなぜスピン角運動量という極小の磁石を情報として運ぶことがそんなに重要なのでしょうか?皆さんの中でノートパソコンを持っている人も多いと思いますが、使いだしてしばらくするとパソコン全体が非常に熱くなることを知っているでしょう。これは今の情報処理や計算のシステムが電荷の有る無しを情報の”1”と”0”と定義しているためです。つまり電荷のある”1”の状態をフラッシュメモリなどの記憶媒体に恒常的に記憶する前に一時的に記憶するためにずっと電圧をかけ続けることが必要なためです[2]。しかしスピン角運動量の記憶には電圧は必要ありません。それは磁石がいつまでたっても磁石の機能を失わないことと同じ理由と考えてもらって構いません。ただ、これだけでは今までの磁気メモリと同じです。スピントロニクスで重要なのは、情報の伝搬もまたスピン角運動量で済ませてしまおう、という発想なのです。そのためのキーになる流れがスピン流となるわけです。

     スピン流には電荷もスピン角運動量も同時に流れるスピン偏極電流と電荷は(実質的には)流れないのにスピン角運動量だけが流れる純スピン流の2つの種類がありますが、この2つを総称して広く「スピン流」と呼ぶことが一般的です。中でも純スピン流は21世紀に作り出された新しい流れですが、その特徴に電荷の流れが実質的にない、ということがあります。図1(b)にも示したように純スピン流では上向きのスピン角運動量を持つ電子(電荷はもちろん持っている)が右に、下向きのスピン角運動量を持つ電子(同じく電荷を持つ)が左に、と互いに「逆」の方向に運動します。そのため2つの運動を合わせると電荷の移動は実質的にはなくなります。一方、時間反転対称性、と言う、いわばビデオに運動を録画して逆回しにしたときに同じ運動に見えるかどうか、という性質に注目すると、この純スピン流は全体がその対称性を満たすために上向きのスピン角運動量を「2つ」「右に」流すことと等価である、と言うことができます。つまり、電荷は流れないのにスピン角運動量だけが情報の担い手として流せるわけです。さらに、電荷の流れはないのでオームの法則を思い出してもらうとわかるように、理想的には消費電力なしでスピン角運動量という情報を伝搬させることができ、将来的にエネルギー散逸のない無散逸エレクトロニクスの構築に役立つ流れだと大いに期待されています。

     この純スピン流はナノテクノロジーが発展し、スピン緩和長よりも短い、大きさが約数百ナノメートル(1ナノメートル[nm]は1 mの1/109)素子を割と簡単に作れるようになったことで観測可能になりました。これが21世紀初頭の出来事で、「スピン流物理学」とも呼べる新しい学問分野が開拓されました。しかし研究開始当時は銅やアルミニウムなどの金属中でしか作ることができず、それがスピン角運動量を使った計算の実現への大きな障壁となっていました。しかし様々な実験上の工夫や実験技術の進歩、発想の転換などによってシリコンなどの情報処理や計算に有利な半導体材料や、携帯電話や衛星放送の受信で使われる2次元電子系と呼ばれる電子が非常に早く移動できる材料系、また2016年のノーベル物理学賞が与えられたトポロジーというアイディアに基づく新しい物質群であるトポロジカル絶縁体などで、このスピン流が室温で伝搬・計測できるようになりました。これらの系では容易に電子の移動(スピン角運動量の移動)を制御することで情報のon/offを切り替えられることから、スピン角運動量そのものを使った情報の伝搬から記憶、計算まで実現することで消費電力を極端に抑制するグリーンテクノロジーと呼ばれる技術が構築できるものと期待されています。実際、トランジスタのスピン版であるスピントランジスタはすでに室温で動作可能です。また、基礎学術の面では、20世紀に完成したと思われていた固体物理学という分野における様々な効果や法則、例えばホール効果やゼーベック効果などが、スピン角運動量やスピン流の視点に基づくことで、書き換えたり再定義できたりすることがわかってきており、スピントロニクスやスピン流物理学が物理学の深遠さをさらに広げていっています。

    3.おわりに 

     いつの時代でも物理学は常に新鮮です。私が学生の頃は、素粒子物理学と固体物理学は基本的に別々の学問でしたが21世紀には力強く融合されつつあります。また固体物理学も1980年中頃ごろは「終わった」学問だという誤解が流布していましたが、高温超伝導の発見やスピントロニクスの創出などによって21世紀の今なお急速に発展・進化しています。若い皆さんには常に広い分野への関心を持ち、斬新な発想を持ち続けてほしいと思います。スピン流やスピントロニクスの物理は、異分野の物理学の融合と常識を超える発想から生まれました。私自身、大学院生時代にやった素粒子物理学での計算がまさかスピントロニクスで再び役立つとは思っていませんでした。好奇心と情熱によって第二、第三の「スピン流物理学」「スピントロニクス」のような新鮮な物理学の創出が皆さんによって可能になることを期待しています。

    [1]実はスピン角運動量は直接自転とは関係はないものの、回転の自由度とは関係することが理解されています。これを実験的に証明したのがアインシュタインとド・ハースの2人です。これはあの相対性理論で有名な理論物理学者であるアインシュタインの唯一の実験だ、と言われています。

    [2]ノートパソコンのことをラップトップ型パソコンなどと呼ぶこともありますが、このラップとは腿のことです。しかしあんなに熱くなっては腿の上に載せておくことも簡単ではなく、看板に偽りあり、と思ってしまいます!

  • 用 語 集

    電子

    電荷-1.6×10-19クーロン、スピン1/2を持つ素粒子。素粒子であるので、これ以上何かの粒子に分割することができない。またそれ故に現代物理学では大きさのない粒子と考えて差し支えない。

     

    電子スピン

    電子の持つスピン角運動量のこと。電子の自転による角運動量という誤解があるが、上述のように電子には大きさがないので、大きさがないものの自転は定義できないことから、この考えが正しくないことがわかる。正確には「量子力学的に2値を取る物理量」という定義が正しく、一般に2値としてアップ(上向き)・ダウン(下向き)と命名されている。こう書くと回転(自転)とは無関係に聞こえるが、それでも確かにスピン角運動量は回転と関連する自由度であることはEinstein-de Haasの実験によって確かめられている。

     

    保存量
    失われることのない量のこと。電荷は、電磁気学におけるMaxwell方程式から電荷保存則の式が導かれることからわかるように、保存される(=宇宙の全電荷は保存される)。一方、スピン角運動量は、スピン緩和長と呼ばれる長さスケールで消滅する(緩和して失われる)。例えばシリコン(Si)では常温で数ミクロン程度。

     

    スピン流

    アップスピンを持つ電子が右に、ダウンスピンを持つ電子が左に流れる状況を考えるとそれが典型的にはスピン流となる。電子には電荷があるので、電荷の視点で見れば1つの電荷が右、1つの電荷が左に流れるので互いに打ち消し合って、電荷の移動はないように見える。しかしスピンの移動は残っており、さらに時間反転対称性(後述)を考慮すると2つのアップスピンが右に(電荷の移動を伴わずに)流れる状況となっている。

     

    時間反転対称性

    時間の流れを逆にしても(ビデオに録画して逆回しにすること)同じ状況になる場合、そのような状況を「時間反転対称性を持つ」と言う。

     

    2次元電子系

    2つの異なる材料の境界(ヘテロ界面、という)に生じる高密度の電子のこと。ヘテロ界面にこの電子が閉じ込められているので2次元空間に高密度の電子が生成していることになることからこの名前がつけられた。非常に高速で電子が運動することが可能であるために携帯電話などに応用されている。

     

    トポロジカル絶縁体

    内部は絶縁体(電気を通さない)、外部は導体(電気を通す)という新しい物質相。これまでに発見された材料とは異なる独特の「秩序」(トポロジカル秩序)をもつ。この秩序の発見に対して2016年のノーベル物理学賞が与えられた。またこの材料群の研究について2014年の大阪科学賞が与えられている。