• 第37回(令和元年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

     

    栗栖 源嗣 (くりす げんじ) 

     

    現職: 大阪大学蛋白質研究所 教授

         /附属蛋白質解析先端研究センター長

    http://www.protein.osaka-u.ac.jp/crystallography/

    略歴:

    1992年3月  大阪大学工学部応用精密化学科卒業

    1994年3月  大阪大学大学院工学研究科応用精密化学専攻 博士前期課程修了

    1994年4月  日本学術振興会特別研究員DC1採用(1997年3月まで)

    1997年3月  大阪大学大学院工学研究科応用精密化学専攻 博士後期課程修了

    1997年3月  博士(工学)取得(大阪大学)

    1997年4月  大阪大学蛋白質研究所 助手

     この間2002年4月から2003年10月まで在外研究(米国Purdue大学)

    2004年4月  東京大学大学院総合文化研究科 助教授

    2007年4月  同准教授

    2009年4月-2019年11月現在 大阪大学蛋白質研究所 教授

    2018年4月-2019年11月現在 大阪大学蛋白質研究所 附属蛋白質解析先端研究センター長

     

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  • 研究業績:生体エネルギー変換に関わる生体超分子複合体の構造研究

     

    生物は光合成や呼吸鎖,細胞運動などの反応で大変効率よくエネルギーを変換する仕組みをもっています。生物がもつエネルギー変換反応の仕組みを詳細に理解することは,学術的に意義深いだけでなく人間社会のエネルギー問題解決の糸口になるのではないかと期待されています。細胞の中の生体エネルギー変換反応の多くは,複数の蛋白質で構成される“生体超分子”と呼ばれる蛋白質複合体が担っていますが,「なぜ効率よく反応が進むのか?」という疑問に対しては,試料調製の難しさや巨大な分子サイズがネックとなって理解が進んでいませんでした。私の専門は構造生物学で,分子の形に基づいて蛋白質の機能を理解しようとする研究分野です。世界に先駆けて光合成電子伝達蛋白質複合体の結晶化・構造解析に成功し,複合体形成が反応を効率化する仕組みを発見した後,葉緑素を緑に成熟化させる酵素,光合成膜蛋白質複合体など,光合成反応に関わる巨大分子を複合体状態で構造解析し,その高効率な反応の仕組みを解明してきました。さらに,生体内の巨大な分子モーターであるダイニンの構造研究では,最長ポリペプチド鎖のX線構造解析記録を塗り替えることにも繋がりました。これら一連の研究では,試料調製法を独創し,X線構造解析法だけでなく核磁気共鳴法やクライオ電子顕微鏡構造解析法,分子動力学計算法など,複数の解析手法を相補的に活用することで大きく研究が進展しました。私の研究成果は,高効率な生体エネルギー変換反応を担う蛋白質の仕組みを解明しただけでなく,分子を記述する“単純な構造生物学”から複雑な生体反応を統合的に理解しようとする“動的な構造生物学”へと研究を進めた点に特徴があると考えています。
  • 記念講演:生体内ライブカメラで見る“動く細胞たち”の世界」

     

    *動画で記念講演をご覧いただけます。

     

     

     

  • 第37回大阪科学賞 記念講演

    タンパク質の形でみる生物がエネルギーを作る姿と使う姿

    大阪大学蛋白質研究所 教授 栗栖源嗣
    1.はじめに 

     私が大学に入学する少し前に,私の恩師の先生にあたる故角戸正夫先生(大阪大学名誉教授・姫路工業大学元学長)が,一般書(1986年刊ブルーバックス「現代化学の世界」)に以下のような文章を書かれています。『初等・中等教育の化学の中で,物質の性質,変化,合成などを複雑な分子式や反応方程式として記憶しなければならないことが,化学を嫌悪する大きい一因となっているようである。まして化学式に加えて,個々の分子の立体構造まで記述するとなれば,化学は一層やっかいな教科となってしまうかもしれない。ところが複雑なペプチドやタンパク質ともなれば分子式(C250H550・・・・)を示されただけではもはや役に立たない。生体物質のように極めて大きく複雑な分子ほど,その分子の立体の姿を見るということが重要さを増しているのである。この要請に応えることのできたX線結晶解析の貢献は大きい。』30年以上前に書かれた文章ですが,蛋白質など生体物質の不思議な機能を理解する上で,その分子の形を見ることの重要性は今も変わっていません。

     蛋白質を構造解析するスピードと質は,30年前に比べると格段に向上しています。SPring-8[1]などの大型放射光施設ができ,明るく平行性の高い高輝度X線を使うことができるようになったからです。その結果,構造解析可能な分子の範囲は格段と広がり,良質の結晶さえ作成することができれば,迅速・高精度に蛋白質の形を調べることができるようになりました。しかし,生体の中で働く蛋白質たちは,決して単独で働いているわけではなく,複雑な生体反応であればあるほど複数の蛋白質が協調し複合体を形成して高効率に化学反応を駆動しています。したがって,複雑な生体反応がどのように効率よく駆動されているのかを知るには,実際に働いている姿に近い“生体超分子”と呼ばれる複合体状態の形をみて理解する必要があります。美しいタンゴの踊りを見るとき,踊り子一人一人の姿もさることながら,2人の踊り子がどのように息を合わせて踊るかが重要で,踊り子の立ち姿だけからパフォーマンスを測り知ることはできないのと同じと言えるかもしれません。 

    2.蛋白質の形をみる方法

     70年代初頭,我が国で最初に蛋白質の構造解析がなされたのは,大阪大学蛋白質研究所の角戸研究室で,X線結晶解析法により構造決定されました[2]X線結晶解析法は,今も生体高分子の構造解析における主たる解析手法です。蛋白質立体構造データベースProtein Data Bankhttps://pdbj.org/の約9割は,このX線結晶解析法により構造解析されています。しかしこの結晶解析法は,原理的に研究対象とする蛋白質を結晶にする必要があります(図1)。特に,複合体を形成している蛋白質や柔軟な構造領域を多く含む蛋白質は,結晶化の過程で困難を伴うことが多く,構造解析が難しくなるという弱点がありました。これに対し,核磁気共鳴法(NMR法)は,対象とする蛋白質を結晶化する必要がなく,溶液状態で効率よく実験を進めることができます。動的な運動性を評価することもできて,X線結晶解析と相補的な側面を持つと言われています。しかし核磁気共鳴法にも弱点があって,高価な高磁場NMR装置を使った場合でも解析できる分子サイズに限界があり,主に小型の蛋白質の構造解析に限定して活用されています。この2つの手法は研究開発の長い歴史があり,私が学生の頃から蛋白質など生体高分子の構造研究に活用されてきました。

     

    【図1】X線結晶構造解析の概要

    【図1】X線結晶構造解析の概要

     実は蛋白質の構造を見る方法には,最近になって新しい技術革新がありました。2017年のノーベル化学賞がクライオ電子顕微鏡法開発に貢献した3人の科学者に授与されたのは,記憶に新しいと思います。クライオ電子顕微鏡構造解析法は,電子顕微鏡の試料ホルダーに薄い蛋白質の氷の層を作り,高性能電子顕微鏡と新型の検出器で構造解析を行います。画像処理技術を駆使することで,原子分解能で構造解析することが可能になりました。研究者自身で均質な蛋白質試料を精製する必要があるのはX線結晶解析と同じですが,結晶化する必要がなく分子サイズの大きな蛋白質複合体を直接解析することができるため,急速に利用が拡大しています。

     

     私は,生物が示す“エネルギーの生成と利用”が,生命らしさを支えている極めて重要な反応であると捉えて研究を進めてきました。具体的には,エネルギーを作る光合成や,エネルギーを使う生体運動の研究を進めていくうちに,高効率な生体エネルギー変換反応をより深く理解するためには,蛋白質が働いている姿(=生体超分子複合体)を直接目でみる必要があると考えるようになりました。試行錯誤を進めていくうちに,異なった長所と短所を持つ複数の構造解析法を上手く組み合わせて活用し,複合体状態のタンパク質の形をみることで,反応を駆動する巧妙な仕組みの一部を理解することができました[3]

    3.生物がエネルギーを作る姿と使う姿
    【図2】 光合成電子伝達鎖を構成する膜蛋白質複合体の立体構造

    【図2】 光合成電子伝達鎖を構成する膜蛋白質複合体の立体構造

    光化学系IおよびNDH様複合体が,フェレドキシン(Fd)を介して漏れも渋滞もさせることなく,どのように電子を受け渡すのかは判っていなかった。

     

     地球上の植物や藻類は光エネルギーを利用して光合成反応を駆動して,水と二酸化炭素から酸素と糖を合成し,動物はその植物を摂取することで糖を分解し酸素呼吸してエネルギーを作り運動しています。植物や動物の細胞内では,光エネルギー,化学エネルギー,力学的エネルギーなど各種エネルギーを利用し,非常に効率よく種々な変換反応を組み合わせて複雑な生命現象を織りなしています。

     

    【エネルギーを作る姿】光合成生物が『光エネルギーを利用してピリジンヌクレオチド(NADPH)やアデノシン三リン酸(ATP)などの化学エネルギーを生産する反応』は光合成電子伝達反応と呼ばれ,構成する膜蛋白質複合体の個々の構造は,(私を含む)複数の研究者によって原子分解能で立体構造が報告されています(図2)。しかし野外の光環境は一定ではなく,急に曇ったり晴れたりもします。光エネルギーが一定でなければ,電子回路状に並んだ複合体への電子の出入りも渋滞や漏れが起こるはずです。しかし実際の葉緑体中では,非常に効率よく電子伝達反応が進行していて,漏れや渋滞は起きてはいないのです。

     

     この不思議を理解するため,私は光化学系Iと電子伝達蛋白質フェレドキシン(Fd)の複合体を結晶化し,複合体状態でX線結晶解析を行いました。また安定同位体15NでラベルしたFdを調製して,核磁気共鳴法で光化学系Iとの溶液状態での相互作用も確認しました。その結果,蛋白質自身が電子伝達のタイミングを指示しながら反応を進行させていることを突き止めました(図3)。さらに,NDH様複合体の構造解析では,クライオ電子顕微鏡とX線結晶解析法,さらに核磁気共鳴法の3手法を使ってFdとNDH様複合体の複合体形成を解析し,過剰な電子をFdからチラコイド膜中に回収する仕組みも明らかにすることができました。

     

     【エネルギーを使う姿】私たちの体を構成する細胞内では,分子モーターとよばれるタンパク質群が化学エネルギーを力学的運動へと変換することで,生命活動に必要な様々な細胞運動を駆動しています。それらの中で,細胞内物質輸送や繊毛・鞭毛運動を担う『ダイニン』は,分子としての複雑さと分子サイズの巨大さゆえに,最近まで主要な分子モーターの中で唯一,全体の立体構造が明らかではなく,その運動機構は謎に包まれていました。

     

    【図3】 光化学系IとFdが巧妙な複合体を形成する概略図

    【図3】 光化学系IとFdが巧妙な複合体を形成する概略図

     ダイニンのX線結晶解析の結果からは,ATPを加水分解するリングから長い脚(黄色と橙色)が突き出た構造をもつことが明らかになりました(図4左)。また,力発生を担うレバーアーム様の構造(青色)がリングを跨ぐように位置することも可視化されました。大阪大学蛋白質研究所の中村春木教授との共同研究として,ダイニン分子の分子動力学シミュレーションを行い,ATP加水分解で得られた化学エネルギーを力学的運動に変換し,ダイニンが長い脚を構造変化させながら微小管と呼ばれるレールの上を移動することが分かりました(図4右)。これらの構造的特徴は,従来知られていたミオシンやキネシンという小型分子モーターとは全く異なるもので,ダイニンは,全く新しい運動の仕組みによってレール上を運動する分子モーターであることが明らかになりました。

     

     ダイニン分子モーターの機能不全は,様々なヒトの疾病と深く関連することが示唆されています。例えば,ウィルスが感染過程でダイニン複合体をハイジャックすることが示されていますし,ある種の神経変性疾患や不妊・排卵障害の一部はダイニン分子モーターの機能異常と関連があると考えられています。本研究を基盤としてダイニンの運動機構の理解がさらに進展すれば,これらダイニン関連病の発症機構が明らかになると期待されています。

     

     ダイニンのX線結晶解析の結果からは,ATPを加水分解するリングから長い脚(黄色と橙色)が突き出た構造をもつことが明らかになりました(図4左)。また,力発生を担うレバーアーム様の構造(青色)がリングを跨ぐように位置することも可視化されました。大阪大学蛋白質研究所の中村春木教授との共同研究として,ダイニン分子の分子動力学シミュレーションを行い,ATP加水分解で得られた化学エネルギーを力学的運動に変換し,ダイニンが長い脚を構造変化させながら微小管と呼ばれるレールの上を移動することが分かりました(図4右)。これらの構造的特徴は,従来知られていたミオシンやキネシンという小型分子モーターとは全く異なるもので,ダイニンは,全く新しい運動の仕組みによってレール上を運動する分子モーターであることが明らかになりました。

     

     ダイニン分子モーターの機能不全は,様々なヒトの疾病と深く関連することが示唆されています。例えば,ウィルスが感染過程でダイニン複合体をハイジャックすることが示されていますし,ある種の神経変性疾患や不妊・排卵障害の一部はダイニン分子モーターの機能異常と関連があると考えられています。本研究を基盤としてダイニンの運動機構の理解がさらに進展すれば,これらダイニン関連病の発症機構が明らかになると期待されています。

    【図4】構造解析の結果(左:静的構造)
    【図4】分子動力学計算を元に推測した働くダイニン分子(右:動的構造)

    【図4】 構造解析の結果(左:静的構造)と,分子動力学計算を元に推測した働くダイニン分子(右:動的構造)

    6.おわりに 

     私の生体超分子複合体の構造研究は,大阪大学工学部,同蛋白質研究所において直接研究指導してくださった恩師の先生をはじめ,多くの共同研究者との出会いがきっかけとなり大きく発展しました。これら皆様方の力添えが無ければ,研究を到底完成させることは出来なかったでしょう。さらに,研究プロジェクトに参画してくれた多くの卒業生や研究室員を含め,全ての関係者の皆様に深く感謝いたします。本受賞を励みに,現研究室の学生諸君や教員スタッフ,新しく研究室に加わってくれる予定の学生と共に,「なるほど!」という研究成果を追い求めて,更に研究を進めていきたいと思います。

     最後に,私の研究をご支援いただいた日本学術振興会の科学研究費補助金(KAKENHI),内閣府の最先端・次世代研究開発支援プログラム(NEXT)および科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(さきがけ研究,CREST)の関係各所に深く感謝いたします。

    [1]元大阪大学蛋白質研究所長である角戸正夫先生は,SPring-8の関西誘致に尽力されました。

    [2]コンピュターグラフィックスができる前なので,分子模型は木製と真鍮製の2種類制作され,実物が蛋白質研究所の玄関に展示してあります。

    [3]私の専門はX線結晶解析ですが,他の新しい解析手法が少しかっこ良く見えたからかもしれません。

  • 用 語 集

    生体エネルギー変換反応

    光のエネルギーで化学反応を駆動する光合成電子伝達反応や,酸素呼吸によって電子伝達反応を駆動する呼吸鎖の酸化的リン酸化反応,(アデノシン三リン酸加水分解反応などの)化学反応を力学的な運動に変換する生体運動反応などの総称

     

    光合成膜蛋白質複合体

    植物や藻類がおこなう光合成電子伝達反応を担うチラコイド膜に埋もれた蛋白質複合体。光化学系II,シトロムb6f複合体,光化学系I,NADH様複合体,ATP合成酵素が主要な複合体として知られている。いずれも,葉緑素(クロロフィル)やカロテノイドなどの色素や金属が分子内部に精巧に配置された膜蛋白質であり,分子サイズは約20万から100万ダルトンにもおよび巨大である。

     

    ダイニン分子モーター

    生体中には分子モーターとよばれる生体運動を担うタンパク質が複数存在している。筋収縮はミオシンという蛋白質がアクチンという蛋白質の上を移動することにより力を発生し,細胞内物質輸送はキネシンとダイニンが立体構造を変化させながら微小管というレールの上を滑り運動することによって行われる。この3種類の分子モーターのうち,細胞内物質輸送や真核生物の繊毛・鞭毛運動を担う蛋白質分子をダイニンという。

     

    X線構造解析

    物質の構造を解析する手法の1つ。調べたい物質の結晶を作成し,結晶に対してX線を照射して,そこから散乱されたX線の強度を観測し解析することで最終的に結晶中の物質の構造を知ることができる。

     

    核磁気共鳴法(NMR法)

    分子を構成する原子は小さな磁石の性質をもっており,強力な磁場の中に入れて核スピンの共鳴現象を観測することで,物質の分子構造を原子レベルで解析する手法。溶液状態で実験を行うことが可能で,分子の動的な性質を反映した構造解析ができ,相互作用を観測することに秀でている。

     

    クライオ電子顕微鏡構造解析法

    2017年のノーベル化学賞で注目された蛋白質の新しい構造解析法。試料ホルダーに薄い蛋白質の氷の層を作り,高性能電子顕微鏡で構造解析を行う。画像処理技術を駆使することで,原子分解能で構造解析することが可能になった。

     

    分子動力学計算法

    原子の物理的な振る舞いをコンピューターでシミュレーションする手法。蛋白質分子を構成する各原子について分子科学の法則の下,計算により一定時間相互作用を計算しシミュレーションする。これによって分子の動的な構造情報を計算によって推測することができる。