• 第37回(令和元年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

     

    小林 研介 (こばやし けんすけ) 

     

    現職: 東京大学大学院理学系研究科 

        附属知の物理学研究センター・物理学専攻 教授

        大阪大学大学院理学研究科物理学専攻 教授(栄誉教授)

    https://meso.phys.s.u-tokyo.ac.jp

    略歴:

    1996年3月 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程 修了

    1998年4月 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程 中退

    1998年4月 東京大学大学院理学系研究科助手(1999年8月まで)

    1999年8月 東京大学物性研究所助手(2005年3月まで)

    1999年9月 東京大学博士(理学)取得

    2004年4月 スイス連邦工科大学研究員(2005年3月まで)

    2005年4月 京都大学化学研究所助教授(2007年4月同准教授)

             (2012年3月まで)

    2012年4月-2019年11月現在 大阪大学大学院理学研究科教授

    2017年4月-2019年11月現在 大阪大学栄誉教授

    2019年5月-2019年11月現在 東京大学大学院理学系研究科附属知の物理学研究センター・物理学専攻教授

     

  • 研究業績:固体素子におけるゆらぎと非平衡機能に関する実験的研究

     

    物理学の世界では、20世紀前半に「量子力学」という新しい学問が打ち立てられました。量子力学によって、それ以前にはよく分からなかった原子・分子や光の性質など、私たちの身の回りにある自然の成り立ちを精密に理解できるようになりました。さらに、近年、ナノテクノロジーの発展によって「ナノ物理学」と呼ばれる分野が生まれました。ナノ物理学は、量子力学を使って自然現象を「理解する」だけでなく「制御する」ことも目標としています。この分野では、「メゾスコピック系」と呼ばれる微小な固体素子(電子回路部品)を用いて物質の性質を制御する研究が活発に行われています。例えば、人工原子と呼ばれるメゾスコピック系では、電子を一個ずつ制御することができます。
    私たちは、特に、電子の「ゆらぎ」と「非平衡」に注目した研究を行ってきました。このような研究は、アインシュタインのブラウン運動の研究(1905年)から現在に至るまで長い歴史を持っています。私たちは、電子一個レベルのゆらぎを測定可能な世界有数の高感度ゆらぎ測定技術を開発し、メゾスコピック系に適用する研究を行ってきました。具体的には、非平衡にある量子液体の振る舞いの解明、統計力学で知られている「ゆらぎの定理」の実験的検証などを行いました。さらに、非平衡を利用してシリコンにおける巨大磁気抵抗効果を実現しました。このような研究は、ナノ物理学が物性物理学や統計力学などを含む物理学の幅広い分野の研究に貢献できることを示しています。また、非平衡を理解し利用することは、既存の半導体素子とは異なる特色を持つ新しい次世代素子の開発にも貢献するものです。
     
  • 第37回大阪科学賞 記念講演

    ゆらぎ~自然のささやきが教えてくれるもの

    東京大学大学院理学系研究科/大阪大学大学院理学研究科 教授
    小林 研介

     

    1.量子力学とナノ物理学

     

     物理学の世界では、20世紀前半に「量子力学」という新しい学問が打ち立てられました。量子力学によって、それ以前にはよく分からなかった原子・分子や光の性質など、私たちの身の回りにある自然の成り立ちを精密に理解できるようになりました。例えば、ガラスがなぜ透明なのか、金属がなぜ光を反射するのか、なぜ電気を流すのか、さらには、鉄がどうして磁石になるのかなどを理解できるようになったのです。さらに、1990年代以降のナノテクノロジー(微細加工技術)の発展によって、「ナノ物理学」と呼ばれる分野が生まれてきました。この分野は、「量子力学に基づいて自然現象を理解する」というだけでなく、「量子力学を利用して自然現象を制御する」ことを目標としています。このような研究は、物質の性質の制御、という、これまでは夢物語に思われてきたことを様々な形で実現できる可能性を切り拓いてきました。この分野に挑戦することの意義は、量子力学のもたらす新しい可能性を探求する点にあります。

     ナノ物理学の分野では、「メゾスコピック系」と呼ばれる微小な電子回路を用いて物質の性質を制御する研究が活発に行われています[1]。メゾスコピック系(mesoscopic系)とは、肉眼で見えるような日常的なサイズの物質(「バルク物質」と呼ばれます)でもなければ、逆に原子レベルのように極端に小さなスケールでもなく、その中間(meso-)の大きさの系という意味です。典型的な回路の大きさは1ミクロン(髪の毛の太さの約100分の1)以下です。半導体や金属などをそのサイズにまで小さく加工すると、もとの性質とは質的に異なった量子力学的な性質が出現することがあります。メゾスコピック系はこのような現象を研究するのに最適な舞台です。その醍醐味は、量子力学に基づく普遍的な現象を直接観測し、制御できる点にあります。

     図1に様々なメゾスコピック系の例を示しました[2, 3]。例えば、人工原子(図1(a))と呼ばれるメゾスコピック系では、電子を一個ずつ制御することができ、電子がただ一個あるだけで発現する現象を観測できます。あるいは、電子波干渉計(図1(b))では、電子の波動性を制御する実験が可能です。さらには、人工原子を電子波干渉計に組み込んだ素子(図1(c))を作り、量子力学の根幹である波動粒子二重性に関わる現象を観測することも可能です。 

     

    【図1】様々なメゾスコピック系。

    【図1】様々なメゾスコピック系。

    (a) 人工原子の電子顕微鏡写真 (b) 電子波干渉計の原子間力顕微鏡写真 (c) 人工原子を電子波干渉計に組み込んだ系の電子顕微鏡写真。

     

     このような研究は、例えば、量子力学がどこまで正しいのか、という物理学の根本にある問いに直接に答えることを可能にしてくれるものであり、非常に重要です。実際、「アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンのパラドックス」として有名な議論は、20世紀前半には思考実験にすぎませんでした。しかし、今や、メゾスコピック系を用いて実証可能なものになっています。また、この方向での発展は、これまでとは質的に異なる新しいテクノロジーの進歩を生み出す可能性があります。近年の量子コンピュータ研究の進展は、まさにメゾスコピック系を用いたナノ物理学がテクノロジーのレベルに到達してきたものと言えるでしょう。また、大きく発展してきた最新の高速・高感度なエレクトロニクス技術と組み合わせることで、これまでには不可能であったような精密測定も可能になりつつあります。

    2.ゆらぎ

     これまでにメゾスコピック系に対して行われてきた研究の多くは、系を流れる電流の測定を主体とするものです。このような測定によって検出される情報は時間平均された、ある意味では静的な性質です。その一方で、近年、電流測定だけでは得られない動的な情報を得る手段として、電流ゆらぎ(雑音)測定が大きな関心を集めるようになってきました(図2)[4-6]。実は、電流ゆらぎは、メゾスコピック系の物理の中でも重要なテーマとして、1990年代初頭から理論的な研究が行われてきたのですが、それに比べて実験報告は多くありませんでした。その理由は、ゆらぎの測定が通常の伝導度測定よりも技術的に困難であるためです。

     ゆらぎについて、もう少し考えてみましょう。皆さんが何かの量を測定したとします。測定を何度も繰り返すと、その測定値は、ある値を中心としてばらついた値になることでしょう。皆さんは、測定結果を平均して得られる「平均値」を「測定値」とすることでしょう。一般に、雑音(ゆらぎ)とは、このようにして得られる平均値の周りに測定値がどの程度ばらついているのか、という量、つまり、測定値の「分散」を意味しています。重要なことは、そのような雑音は、必ずしも測定装置の能力の限界や実験技術の未熟さに起因するものではない場合がある、ということです。言い換えれば、極めて精度の高い理想的な測定装置(図2の例では高性能の電流計)を用いて、完璧に実験を行ったとしても、不可避的に平均値の周りに測定値がばらつく、ということが起こりうるのです。やや直感に反するかもしれませんが「ランダムなものを足し合わせたからといって、そのランダムさが相殺され、消え去ってしまうわけではない(平均がゼロであっても分散がゼロになるわけではない)」という事実が本質的に重要です。ゆらぎ研究の出発点はこの事実にあります[6]

     ゆらぎ=雑音である以上、多くの場合、それは邪魔者であり、できれば取り除きたい、と思うのが人情ではないでしょうか。しかしながら、制御性の高いメゾスコピック系では、通常の測定では無視される雑音でさえも定量的に扱うことができ、そこから意味のある新しい情報を引き出すことができるのです。この点で、ゆらぎとは自然のささやき声であり、ゆらぎを精密に研究することは自然のささやき声にじっくりと耳を傾けることだと言えるでしょう。

     私たちは、2004年以降、メゾスコピック系において、世界最高の感度でゆらぎを精密に測定する技術を開発してきました。この手法を武器に、これまでの多くの研究で見過ごされてきたメゾスコピック系におけるゆらぎを手がかりとして、「非平衡(流れや変化のある状態)」を定量的に研究してきました[4-6]

    【図2】電流ゆらぎ測定の概念図。

     

    【図2】電流ゆらぎ測定の概念図。精密な電流計を用いることによって、電流の平均値だけでなく、その分散(ゆらぎ=雑音)も測定できる。

    3.ゆらぎ研究の成果

     私たちの研究成果を2つ、簡単にご紹介します。

     1つ目は、人工原子における近藤効果のゆらぎを解明した成果です[7]。図1(a)に示したような人工原子の中に、たった一つの電子を閉じ込めた状態を作ると、近藤効果と呼ばれる一風変わった量子効果がおこります。これは、その電子の周りを、隣接した導線中にある無数の電子が取り囲んで一つの量子状態(量子液体)を作りだすことが原因です。私たちは、量子液体を通過する電流のゆらぎを精密に調べ、理論的に予測されていた非平衡にある量子液体の挙動を解明することに成功しました。量子液体は現代物理学の中心的な課題の一つです。高い精度で理論の検証に成功した本成果は、物質の新しい性質や機能を見いだすなど、今後の研究の発展に貢献していくものと期待されます。

     2つ目は、「ゆらぎの定理」の検証実験です[4, 5, 8]。これは、1993年に提案されたもので、小さい系でごく短時間に生じる「熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)の破れ」を定量的に記述する一般的な理論です。これまで、「ゆらぎの定理」は、流体中の粒子の挙動を観測することによって実験的に検証されてきましたが、量子力学が支配的な系において成り立つかどうかは、分かっていませんでした。私たちは、電子波干渉計(図1(b))におけるゆらぎを精密測定することによって、ゆらぎの定理が予想するような、非線形性と非平衡性を定量的に結びつける関係があることを実証しました。

    4.ゆらぎと非平衡の研究の意義

     上で述べた2つの研究は、どちらも「ゆらぎ」を通して「非平衡」を研究できるということに注目した研究です。このような研究は、歴史的にはアインシュタインのブラウン運動の理論(1905年)にまで遡ることができます。実は、現代でも、非平衡を理解することは物理学における最大の難問の1つなのです。

     一方で、感覚的にもご理解いただけると思いますが、私たちの日常生活は、常に「流れ」や「変化」を伴っています。すなわち、私たちの身の回りには非平衡が満ちあふれているのです。例えば、トランジスタに代表されるエレクトロニクス、光と物質の相互作用(太陽電池など)、化学反応全般、さらには、生命そのものや、人間の社会的・経済的活動なども、非平衡現象です。このような非平衡現象は、さまざまな個性をもつ構成要素が複雑に影響を及ぼし合うことによって起きているため、本質的に難しく、現代の物理学が最も苦手とする問題です。生命現象や人間活動なども、物理学の研究対象となって久しいのですが、完全な理解には至っていません。

     それに比べれば、非平衡にあるメゾスコピック系は、単純な粒子(電子)から構成されており、相互作用の性質もよくわかっているので、問題設定としては明快です。したがって、メゾスコピック系におけるゆらぎを測定することによって、非平衡におけるふるまいを精密に理解することは、広範な非平衡を理解していくための良い出発点となっています。

     実際、非平衡は、平衡状態とは全く違った性質を持つため、それを利用することによって新しい機能を生み出すこともできるのです。私たちがシリコンを用いて行った巨大磁気抵抗効果の実現は、その一例です[9]

    5.まとめと展望

     私たちの研究は、非平衡を利用した特色ある電子伝導過程を探索することや、既存の枠組みを超えて非平衡とゆらぎを定量的に記述する方法論への糸口になるものです。とはいえ、メゾスコピック系の持つ利点を活かしたこのような研究は、世界的にもまだ始まったばかりであり、全く新しい現象や有用な機能が発見される可能性も高いのです。今後も、メゾスコピック系に独自の高精度測定を適用することによって、広大な未踏領域の開拓を目指して研究を行っていきます。

     

    <若い皆さんへのメッセージ>

     科学は今この瞬間にも進歩し続けています。一昔前には不可能だと思われていたことでも、新しい技術によって実現できるようになることが少なくありません。自らの創意工夫で誰もやったことのない実験をすることは、とても刺激的で楽しいことです。

     科学とは人類が長い時間をかけて営々と築き上げてきた人類共通の財産です。科学研究の究極の目的は、その価値をさらに高めて次世代に受け継ぐことです。

     これからの科学の発展を担うのは、若い皆さんです。期待しています!

     

     

     謝 辞 

     ここで述べた私たちの研究は、大阪大学・京都大学をはじめとする多くの共同研究者の皆様の多大なご協力によって初めて実現したものです。皆様に深く御礼を申し上げます。また、私のこれまでの研究は、複数の科学研究費補助金と財団助成によって支えられてきました。ここに心より感謝申し上げます。

    【参考文献】 ※日本語の解説記事を中心に挙げます。 

    [1] 勝本信吾「メゾスコピック系」(朝倉書店、2003).

    [2] 小林研介「波と粒子が出会うとき」、パリティVol. 17, No. 12, 67-71 (2002).

    [3] 小林研介、相川恒、勝本信吾、家泰弘「量子複合系の物理:メゾスコピックFano効果」、固体物理 Vol. 38, 29-40 (2003).

    [4] 小林研介「メゾスコピック系における電流雑音とゆらぎの定理」、固体物理 Vol. 46, 519-533 (2011).

    [5] 小林研介「メゾスコピック非平衡統計力学」、数理科学 No. 600, 7-13 (2013).

    [6] 小林研介「雑音は何を教えてくれるのか? ―メゾスコピック系における量子輸送と雑音―」、熱測定(Netsu Sokutei) 45 (1), 16-22 (2018).

    [7] 小林研介、「ゆらぎで探る量子液体」、パリティ Vol. 32, No. 11, 16 (2017).

    [8] 小林研介「熱力学第2法則と『ゆらぎの定理』の検証実験」、パリティVol. 29, No.5, 44-49 (2014).

    [9] M. P. Delmo, S. Yamamoto, S. Kasai, T. Ono, and K. Kobayashi, Nature 457, 1112 (2009).

  • 用 語 集

    量子力学

    原子や分子、電子などの極小の世界を記述する物理学の理論です。物質が波としての性質と粒子としての性質の両方を持つなど、私たちの常識とはかけ離れた現象を扱いますが、定量的な予言性をもち、現代物理学の基盤となっています。

     

    ナノ物理学

    エレクトロニクスの発展によって、1ミクロン(1000分の1ミリメートル)よりもずっと小さいスケールで物質を加工する技術が生み出されました。これをナノテクノロジー(微細加工技術)と呼びます。この技術を用いて、小さなスケールで起こる量子力学的な現象を研究する分野をナノ物理学と呼びます。

     

    メゾスコピック系(mesoscopic系)

    肉眼で見ることのできるような日常的なサイズの物質(「バルク物質」と呼ばれます)でもなければ、逆に原子レベルのように極端に小さなスケールでもなく、その中間(meso-)の大きさの系という意味です。通常は1ミクロン以下のサイズです。ナノ物理学の分野ではメゾスコピック系を用いた研究が盛んに行われています。

     

    人工原子(量子ドット)

    半導体などを加工して作製される代表的なメゾスコピック系の一つです。電子を一個ずつ閉じ込め、その状態を観測・制御したり、一個ずつ自由に動かしたりすることが可能です。

     

    ゆらぎ

    平均値の周りのばらつき(平均値からのずれ)を意味します。例えば、電流ゆらぎとは、電子回路内の電子のランダムな運動によって発生する電流値の平均値からのずれのことです。

     

    非平衡

    流れや変化のある状態のことを指します。

     

    ブラウン運動の理論

    微細な粒子が液中で不規則に動く現象(ブラウン運動)についての理論です。1905年、アインシュタインが理論を構築し、原子や分子が実在することを決定づける実験の提案を行いました。

     

    ゆらぎの定理

    単位時間あたりのエントロピー増大の確率とエントロピー減少の確率との間に定量的な関係があることを示す統計力学の定理。1990年代に発見されました。熱力学の第二法則と密接な関わりがあります。

     

    量子液体

    多数の粒子が量子力学的に相互作用し、一体となって振る舞う様子を、量子力学的な液体という意味で量子液体と呼びます。金属中の自由電子、超伝導、超流動などは代表的な量子液体です。

     

    巨大磁気抵抗効果

    種々の原因によって、物質の電気抵抗が磁場中で大きく変化する現象を指します。現象そのものが興味深い研究対象となるだけでなく、磁気センサやハードディスクの読み取り装置に利用されるなど産業的にも注目される現象です。

     

    次世代素子

    省エネ性や高速性などの点で、現在使われている半導体素子とは異なる特色を持つ次世代型の固体素子(電子回路部品)のことです。スピントロニクス等の分野で実用化を目指した研究が進展しています。