• 第38回(令和2年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

     

    井垣 達吏 (いがき たつし) 

     

    現職: 京都大学大学院生命科学研究科 教授

    http://lif.kyoto-u.ac.jp/genetics/

    略歴:

    1993年3月  岡山大学薬学部薬学科卒業

    1995年3月  岡山大学大学院薬学研究科修士課程修了

    1995年4月  キョーリン製薬株式会社中央研究所

    2000年4月  日本学術振興会特別研究員DC1

    2003年3月  大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了 博士(医学)取得 

    2003年7月  Yale University School of Medicine 博士研究員

             (HFSP長期フェロー)

    2007年11月 神戸大学大学院医学研究科 特命助教

    2009年10月 神戸大学大学院医学研究科 特命准教授

    2011年4月  科学技術振興機構さきがけ研究者(兼任)

    2012年4月  神戸大学大学院医学研究科 准教授

    2013年3月 - 2020年11月現在 京都大学大学院生命科学研究科 教授

     

  • 研究業績:細胞競合によるがん細胞制御の発見とその分子機構の解明

     

    私たちの体の中に異常な細胞が生まれると、正常な細胞はそれを見つけて体から排除しようとします。このような細胞の排除現象の1つとして「細胞競合」という現象があります。細胞競合は、体の中に生じた変異細胞が正常細胞に囲まれると時間経過とともに消失するという現象として1975年に見いだされましたが、その後注目されることなく長らく埋もれていました。私たちは、ショウジョウバエを用いてがんの制御メカニズムを研究する過程で、体の中に生まれたがんの元になる異常細胞(極性崩壊細胞)が正常細胞に近接すると細胞死を起こして組織から排除されることを見つけました。つまり、細胞競合ががんの抑制に働いていることを見いだしました。この発見を起点として、正常細胞がどのようにしてがんの元になる細胞を認識し、どのようにして細胞死を誘導して組織から除去するのかを解析していきました。その結果、異常細胞に近接する正常細胞は自身の細胞表面リガンドタンパク質の活性を変化させ、これにより隣の異常細胞の生存能力を低下させて、結果的に異常細胞内で働いているストレスシグナルによって異常細胞が自滅(アポトーシス)することを明らかにしました。この細胞競合によるがん細胞制御は、免疫細胞のように異物を排除するための特殊な能力をもった細胞が働くのではなく、いわゆる「普通の」細胞が近隣のがん細胞を見つけて排除するという新しい現象です。最近の私たちの研究により、細胞競合はがん細胞だけでなく様々な異常細胞や不良細胞を除去することもわかってきました。今後、様々な細胞競合のメカニズムを明らかにし、これを人為的に制御する方法を確立することで、がんなどの疾患に対する新たな治療法の開発やアンチエイジングに貢献できる可能性があります。
  • *動画で記念講演をご覧いただけます。 

      

  • 第38回大阪科学賞 記念講演

    細胞競合によるがんの抑制メカニズム

    〜がんの元になる細胞を正常細胞が排除する仕組み〜

    京都大学大学院生命科学研究科  教授 
    井垣 達吏

     

     

    1.細胞競合とは?

     地球上のあらゆる生物は互いに生存競争しています。すなわち、地球上で限られた食物や資源、生息域、また配偶相手をめぐって互いに競い合い、この競合に勝った個体が生存して子孫を残すことができます。もちろん、われわれ人間もこの競合から逃れることはできません。これは「適者生存」とも呼ばれ、生物進化を駆動する原動力となっています。興味深いことに、このような生物個体同士の競合現象が、多細胞生物を構成する細胞同士の間にも存在することが近年わかってきました。例えば、ある遺伝子に変異が入って生存能力が弱まった細胞(変異細胞)があるとします。この変異細胞は、変異細胞のみからなる集団内では生存可能であっても、より生存能力の高い野生型細胞(正常細胞)が共存すると細胞死を起こして排除されてしまうことがあります(図1)。この現象は「細胞競合」と呼ばれ、死んで排除される細胞を「loser(敗者)」、生きて集団に残る細胞を「winner(勝者)」と呼びます。この細胞競合現象は、1975年にスペインの2人の大学院生(MorataとRipoll)によって発見されましたが、その後はあまり注目されることなく長らく埋もれていました。私たちは、ショウジョウバエを用いてがんの制御メカニズムを研究する過程で、体の中に生まれたがんの元になる異常細胞(極性崩壊細胞;後述)が正常細胞に近接すると細胞死を起こして組織から排除されることを偶然見つけました。つまり、細胞競合ががんの抑制に働いているという可能性を見いだしました。この発見をきっかけに、正常細胞がどのようにしてがんの元になる細胞を認識し、どのようにして細胞死を誘導して組織から除去するのかを1つ1つ明らかにしていきました。この私たちの研究について、なるべくわかりやすく噛み砕いて説明したいと思います。

    図1 細胞競合の概念
     
    2.がんの元になる細胞は細胞競合によって組織から排除される

     がんは様々な臓器の表面にある上皮細胞から生まれます。上皮細胞は六角柱の形をしていて、頂端(上)、基底(下)、側面(横)という方向性をもっています。この細胞の方向性は「細胞極性」と呼ばれます。正常な上皮細胞はきちんとした細胞極性をもっていますが、細胞のがん化に伴って細胞極性が崩壊します。細胞極性が崩壊すると、細胞は増殖しやすくなってがん化が促進されます。例えば、ショウジョウバエの上皮組織を構成する全ての細胞の細胞極性が崩壊すると、細胞は過剰に増殖して腫瘍化(がん化)します(図2A)。ところが驚いたことに、上皮組織の一部に細胞極性が崩壊した細胞の集団を誘導すると、時間経過とともに極性崩壊細胞が組織から消えていくことがわかりました(図2B;細胞集団を緑色で標識)。つまり、極性が崩壊した細胞はがん化するポテンシャルをもっていますが、野生型細胞(正常細胞)に近接すると細胞競合によって排除されると考えられました。細胞競合ががんの発生を未然に防ぐという、とても興味深い可能性が見えてきました。

    図2 細胞競合によるがん抑制
    3.がんの元になる細胞はストレスシグナルによって細胞死を起こす

     そこで次に、極性崩壊細胞がどのようにして組織から排除されるのか、そのメカニズムの解析を進めました。まず、極性崩壊細胞が正常細胞に囲まれると細胞死(アポトーシス)を起こすことがわかりました。私は大学院生時代に細胞死のメカニズムを研究していて、腫瘍壊死因子(TNF)とJNKと呼ばれる2つのタンパク質が細胞内ストレスシグナルを活性化して細胞死を起こすことを見つけていました。もしかしてと思い、このTNF-JNKストレスシグナルを活性化できない上皮組織を作ってこの中に極性崩壊細胞を誘導したところ、なんと細胞の排除が全く起こらなくなることがわかりました(図3)。つまり、極性崩壊細胞はTNF-JNKストレスシグナルによって細胞死を起こして排除されることがわかりました。学生時代に見つけた分子が後にとても重要な生命現象に関わっていることが判明した(しかもそれを自分で見つけることができた)というのは本当に幸運でしたが、細胞が死ぬという現象に興味を持ち続けて研究してきたからこそ逃さずつかめた幸運でもありました。

     

    図3 極性崩壊細胞はTNF-JNKストレスシグナルによって排除される
    4.正常細胞は細胞表面タンパク質を介して極性崩壊細胞の生存能力を低下させる

     ここまでの解析で、極性崩壊細胞が細胞死を起こすメカニズムがわかってきました。しかし、極性崩壊細胞は周りに正常細胞が存在しないと細胞死を起こしません。つまり、近接する正常細胞が何らかの機構で極性崩壊細胞の細胞死を促していると考えられました。その仕組みを明らかにするために、遺伝学的スクリーニングという大規模な遺伝子探索を行いました。具体的にいうと、正常細胞のゲノムDNAに無作為に遺伝子変異を誘導し、近接する極性崩壊細胞が細胞死を起こさなくなるような遺伝子変異を1つ1つ探索するということを行いました。約9,000の遺伝子変異を探索した結果(私の研究室の何人もの大学院生ががんばってくれました)、正常細胞の表面に存在するSasというリガンドタンパク質がなくなると近接する極性崩壊細胞が細胞死を起こさなくなることがわかりました。つまり、正常細胞はSasを使って隣の極性崩壊細胞に細胞死を促していると考えられました。さらに解析を進めた結果、正常細胞のSasは極性崩壊細胞の細胞表面に存在するPTP10Dと呼ばれる受容体タンパク質に結合し、これが極性崩壊細胞内のEGFRシグナルという生存シグナルを阻害することがわかりました。これにより生存能力が低下した極性崩壊細胞がTNF-JNKストレスシグナルによって細胞死を起こすことがわかりました(図4右)。また、周りに正常細胞がいない場合には、極性崩壊細胞はEGFRシグナルとTNF-JNKシグナルを同時に活性化して、これらのシグナルが協調することで細胞増殖が亢進してがん化が促されることがわかりました(図4左)。

    図4 正常細胞が近接する極性崩壊細胞に細胞死を誘導する機構
    5.体の中のインスリン濃度によって細胞競合が働くかどうかが決まる

     

     以上の解析から、細胞同士の相互作用によってがんの元になる細胞が組織から排除されるメカニズムが明らかになってきました。さらに研究を進めていくと、この細胞競合は細胞間の直接的な相互作用だけでなく、体の中で循環しているインスリン(血糖値を調節するペプチドホルモン)の濃度によっても制御されることがわかってきました。

     糖尿病の患者や肥満の人はがんになりやすいことが知られていますが、その理由はよくわかっていません。これらの人々の多くは、血中のインスリン濃度が増加する「高インスリン血症」になっています。私たちは、細胞競合による極性崩壊細胞の排除ができなくなるショウジョウバエ変異体を探索し、chicoと呼ばれる遺伝子を欠損した変異ショウジョウバエでは細胞競合が起こらなくなることを見つけました。興味深いことに、chico遺伝子を欠損したショウジョウバエは高インスリン血症になっていて、これが細胞競合機構の破綻の原因になっていることがわかりました。さらに解析を進めた結果、極性崩壊細胞は正常細胞に比べてmTOR-S6シグナルと呼ばれる細胞内シグナルが低下していて、それによってタンパク質合成能力(つまり細胞の活力)が低下していますが、高インスリン血症の状態ではmTOR-S6シグナルの活性が上昇してタンパク質合成能力が正常細胞よりも高くなり、細胞死を起こさなくなることがわかりました。これが理由で、高インスリン血症の状態では細胞競合が起こらず、極性崩壊細胞ががん化したわけです(図5)。

     以上の結果は、高インスリン血症を起こした糖尿病患者や肥満の人ががんになりやすいこととよく似ています。ここで、糖尿病患者の中でもメトホルミンという糖尿病治療薬を使用している人はがんになりにくいことが知られています。つまり、メトホルミンという薬は高インスリン血症の状態でがんが発生するのを防いでいるという可能性が考えられました。そこで、高インスリン血症を起こしているショウジョウバエに極性崩壊細胞を誘導し、このハエにメトホルミンを投与したところ、なんと細胞競合が正常に働いてがん化が起こらなくなることがわかりました。この解析結果をヒトのがんに応用するにはまだまだ多くの研究が必要ですが、これらの結果はメトホルミンが細胞競合の働きを強めることでがんを抑制するという興味深い可能性を示しています。

    図5 生体内インスリン濃度による細胞競合とがん化の制御
     
    6.おわりに  

     以上、正常な細胞ががんの元になる細胞を排除する細胞競合の仕組みについて、私たちのこれまでの研究を簡単に紹介しました。この細胞競合によるがん細胞制御は、免疫細胞のように異物を排除するための特殊な能力をもった細胞が働くのではなく、いわゆる「普通の」細胞が近隣のがん細胞を見つけて排除するという新しい現象です。最近の私たちの研究により、細胞競合はがん細胞だけでなく様々な異常細胞や不良細胞を除去することもわかってきました。地球上に生まれた「適者生存」という原理が、細胞同士の間でも日々繰り広げられていることに生命の神秘を感じます。今後、様々な細胞競合のメカニズムを明らかにし、この現象を人為的に制御することができるようになれば、がんなどの疾患に対する新たな治療法の開発やアンチエイジングに貢献できる可能性があります。

     さて、高校生のみなさんは大学の教員が毎日どのような生活を送っているのかあまり想像がつかないかもしれません。実は、私たちの研究生活は本当に毎日楽しいのです。あまり大きな声では言えませんが、毎日こんなに楽しいことばかりやっていて、その上給料までもらっていいのかなと思ったりもします。朝、目覚めた瞬間から研究のことを考えてワクワクしたり、新たな研究結果に興奮して夜なかなか寝付けなかったり(そしてその続きを夢で見たり)することもあります。こんなに楽しい職業に就けるなんて、高校時代には想像もしていませんでした。おそらくこのようになれた理由は、研究だけは人一倍がんばったからだと思います。脇目も振らずもの凄くがんばらないといけませんが、本当に好きなことは無限にがんばれます。みなさんもぜひ自分にとって本当に好きなことを見つけて、人生を楽しんでほしいと思います。

  • 用 語 集

     
    細胞競合

    隣り合う細胞同士が互いに生存競争し、競争に勝った細胞がその場に留まり負けた細胞が細胞死を起こして排除される現象です。ショウジョウバエの組織の中で、単独では生存可能な変異細胞が正常細胞と共存すると消失するという観察事実から1975年に発見されました。

     

    極性崩壊細胞

    がんは様々な臓器の表面に存在する上皮細胞から生まれます。上皮細胞は頂端(上)、基底(下)、側面(横)という方向性をもっており、この方向性を「細胞極性」と呼びます。正常な上皮細胞は細胞極性をもっていますが、細胞のがん化に伴って細胞極性が崩壊することが知られています。極性が崩壊した細胞は、がんの元になると考えられています。

     

    ストレスシグナル

    細胞内では様々なタンパク質が互いに影響し合い、その結果新たな遺伝子やタンパク質が作られて細胞の状態が変化します。このようなタンパク質同士の影響の広がりを「細胞内シグナル伝達」と呼びます。細胞に対してダメージやストレスを与えるような細胞内シグナル伝達をストレスシグナルと呼びます。

     

    細胞表面リガンドタンパク質

    細胞の表面に存在するタンパク質で、ある特定の細胞外タンパク質(受容体タンパク質)に結合する性質をもっています。受容体タンパク質が別の細胞の表面に存在した場合、細胞間相互作用を介して一方の細胞のリガンドタンパク質が他方の細胞の受容体タンパク質を刺激することがあります。その結果、受容体タンパク質をもつ細胞内でシグナル伝達が起こり、細胞の状態が変化します。

     

    アポトーシス

    細胞は自身を積極的に殺すためのメカニズムをもっていて、その1つがアポトーシスです。具体的には、カスパーゼと呼ばれるタンパク質分解酵素が活性化し、活性化したカスパーゼがさらに細胞のDNAを分解するための酵素を活性化します。これによりDNAが分解された細胞は、小さくなって周囲の細胞に取り込まれて消化されます。この一連の過程をアポトーシスと呼びます。アポトーシスは多細胞生物にとって必須の役割を果たしています。例えば、個体発生の過程で余分な細胞を除去したり、自身を攻撃する免疫細胞を殺して排除したりします。