• 第39回(令和3年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

     

    谷口 雄一 (たにぐち ゆういち)

     

    現職: 理化学研究所生命機能科学研究センター チームリーダー

        /京都大学高等研究院 教授

    https://taniguchi.icems.kyoto-u.ac.jp/

    略歴:

    2001年 3月  大阪大学基礎工学部卒業

    2006年 3月  大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了

    2006年 4月  大阪大学大学院生命機能研究科 研究員

    2006年 9月  ハーバード大学化学・化学生物学部 ポストドクトラルフェロー

    2011年 6月  理化学研究所生命システム研究センター ユニットリーダー

    2020年 4月-現在 理化学研究所生命システム研究センター チームリーダー

    2020年10月-現在 京都大学高等研究院 教授

    2020年10月-現在 京都大学大学院生命科学研究科 教授

    2020年10月-現在 大阪大学大学院生命機能研究科 招へい教授

    2021年 4月-現在 京都大学大学院生命科学研究科 生命動態研究センター 部門長

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  • 研究業績:ゲノムの分子レベルでの動作機構の解明

     

    生命が生まれ、育ち、外敵から身を守ることができるのは、ゲノムと呼ばれる長いDNA分子のおかげです。ゲノムには数万種類のタンパク質が4種類の塩基の組み合わせの形でコードされており、状況に応じて適切なタンパク質を発現させることで、様々な機能を果たすことができます。近年の研究によって、DNAの塩基配列からどのようなアミノ酸配列のタンパク質が生まれるかが正確に分かるようになってきました。しかしながら、それぞれのタンパク質の発現がどのような原理で制御されているのかは未だよく分かっておらず、現代生命科学の最大の謎の一つとなっています。

    私たちはこの問題に迫るため、ゲノムの分子レベルでの「形」を明らかにする技術を開発しました。これまでの研究で、ゲノムはヌクレオソーム(下記参照)構造を単位として、それらが連なる形で細胞内に存在することが知られています。私たちはこのヌクレオソームが、細胞内でどのような3次元配置をとるかを全てのゲノム領域に渡って調べるテクノロジーを考案しました。私たちはスーパーコンピュータを用いて、ゲノムの分子レベルでの構造を実験データに照合させていくことで解析を実現しました。真核細胞のゲノムを解析したところ、ヌクレオソームの構造は遺伝子の領域毎に異なっており、遺伝子制御に応じて大きく変化することを見つけました。これまで生命科学の教科書では、ヌクレオソームはジグザグやらせんなどの形で規則的に並ぶというのが通説とされてきましたが、本発見はそれに反するものです。今後、同手法により導出できるゲノム構造を元にすることで、遺伝子制御の分子メカニズムの理解や予測を、物理・化学の知見を基に高い定量性と確度で行えるようになり、新しい疾病診断や薬剤の開発、病態理解や治療法の創生につながるものと期待できます。

  • 記念講演:「生命の設計図「ゲノム」の形を探る」

     

    *動画で記念講演をご覧いただけます。    

     

       けます 

  • 第39回大阪科学賞 記念講演

    生命の設計図「ゲノム」の形を探る

    理化学研究所生命機能科学研究センター・チームリーダー/京都大学高等研究院・教授
    谷口 雄一

     

     私たちヒトを含む生命は、一体どのような仕組みで自らを作り上げているのだろうか?その答えを考える上で最も重要な鍵の一つとなるのが、“ゲノム”という分子の存在である。

     ゲノムは、私たちの体を構成しているひとつひとつの細胞の中に入っている。ゲノムは全長約2mの長さのDNA(デオキシリボ核酸)分子であり、アデニン、チミン、グアニン、シトシンと呼ばれる4種類の塩基が対になったものが約30億個並ぶことで形成されている。そして、この配列に従って多種多様なタンパク質が作られることで、生物の特徴が決定づけられる。DNA配列からどのようなアミノ酸配列のタンパク質が生まれるかを明らかにしたニーレンバーグ博士らの研究は、その重要性から1968年のノーベル賞に選ばれた。

     しかしながら、まだ大きな謎が残されている。生命が適切に成長したり、外的分子を排除したりするには、適したタイミングで各タンパク質の発現をスイッチオン・オフする必要がある。このオン・オフ操作がいかなる形式でゲノム上にコードされているのかはあまりよく分かっていない。

     そこで私たちが注目したのが、ゲノムの「配列」でなく、「形」である。ゲノムは炭素・水素・酸素などの様々な原子によって構成されているが、その骨格構造を見ることで、そこにどのような分子が結合して発現のオン・オフがコントロールされるかを考えることができる。私たちは、こうしたゲノムの分子レベルでの「形」を、その全長に渡って明らかにすることに初めて成功し、本賞の受賞に至った。

     様々な働きを持つ細胞を生み出したり、不必要な細胞を排除したりなど、生命の多くの働きはゲノムからのタンパク質の発現によって生まれる。そのオン・オフを制御する原理が解明されれば、多岐にわたる病気の治療や診断・予測に応用できる可能性がある。現在はまだ基礎研究の段階だが、5〜20年後に一般の方々が恩恵を享受できる大きな分野に花開かせることを目指して、私たちは日夜研究を進めている。

    1.ゲノムは細胞内にどのような形で格納されているか?

     1962年のノーベル賞を獲得したワトソン博士とクリック博士によって、DNAが2重らせん構造をとることが発見された事は多くの方がご存じだろう。この2重らせんは、対になったDNA鎖の構造が10個の塩基毎に1回転することで形成される。ではこの2重らせんは、よりマクロなレベルではどのような構造をとるのか。その答えとなるのが、「ヌクレオソーム」構造である。

     ヌクレオソーム構造は、ヒストンと呼ばれるタンパク質の周りをDNA鎖が約1周半、ぐるりと巻き付くことで形成される。1つのヌクレオソームは約160~200塩基のDNA鎖によって形成され、これらが数珠つなぎになることでゲノムの構造は形成される。延々と長いDNA鎖が絡まないよう、ボビンのような役割をヌクレオソームは果たしていると考えられている。

     それではこのヌクレオソームは、さらにどのような配列構造をとるのだろうか。これが実は、あまりよく分かっていない。電子顕微鏡などを用いて細胞内のゲノムを観察しても、決まったヌクレオソーム配列構造が観察されなかったり、実験条件によって大きく変化したりしたためである。ヌクレオソームが規則的に行ったり来たりする形で配列するジグザグ説や、らせん状に配列するソレノイド説などが1980年代に提唱されたが、その立証には至らず、長年に渡って生命科学の大きな課題の一つとされてきた。

    2.新しいテクノロジー:Hi-CO法の開発

     この問題の解決に向けて私たちは、次世代DNAシーケンサーを用いた解析法に注目した。次世代DNAシーケンサーとは、数億レベルの非常に膨大な数のDNA鎖に対して、それぞれの鎖を構成する塩基の配列を同定することができる技術である。2005年頃に技術が開発されて以降、これを用いてヒトを含む様々な生物の全ゲノム配列の決定が爆発的に進み、今日ではヒト個人のゲノムの解読さえも行えるようになった。

     この技術を用いて、ゲノムのそれぞれの領域の間の位置関係を解析することを可能にしたのが、Hi-C法と呼ばれる手法である。Hi-C法では、ゲノム内の近接する領域間で連結を行わせてその産物を次世代シーケンサーで解析することで、どの領域とどの領域が近接しているかをゲノム全長に渡って網羅的に調べることができる。しかしながら一般的なHi-C法では、連結を細かく行わせることが難しいことから、数千塩基対程度の分解能でしか近接性を解析することができない。そこで私たちは、特殊な酵素を用いて連結を細かく行わせることで分解能の向上を目指し、その結果、単一ヌクレオソーム(160~200塩基対)の分解能での近接性の解析に成功した[1]。

     しかしながら、得られたデータはゲノムの各領域の近接性の情報を与えるのみであり、どのような3次元構造が存在するかを直接与えるものではない。そこで私たちは、スーパーコンピュータによる分子動力学計算を用いることに着想した。分子動力学計算法は、計算機上で分子の構造を構築し、その物理的な動きをシミュレーションする方法である。私たちはヌクレオソームの鎖構造を計算機上で構築し、実験データをより良く満たすように各ヌクレオソームを動かしていくことで、最も確からしいヌクレオソームの3次元配置を導く手法を開発することに成功した(図1)。ゲノムは非常に多数のヌクレオソームにより構成されているため、計算量は膨大なものとなるが、超並列計算を可能とするスーパーコンピュータを利用することで解析が実現できた。私たちは開発した方法を、ヌクレオソームの配列や向きを解析できる意味を込めて、Hi-CO(Hi-C with nucleosome orientation)法と命名した。

     

    図1 導出した全ゲノム3次元分子構造

    図1. 導出した全ゲノム3次元分子構造(理研プレスリリースより)

    3.導かれたヌクレオソーム3次元配列構造の特徴

     ゲノム上には、様々なタンパク質をコードした領域が、数千から数万の数に渡ってずらりと並んでいる。こうしたそれぞれのゲノムの領域毎にヌクレオソームの配列構造を求めることができるのが、電子顕微鏡には無い、Hi-CO法の大きな特徴である。私たちは出芽酵母のゲノムを解析したところ、それぞれの領域が一見不規則な、互いに異なるヌクレオソーム配列構造をとることを見つけた。生命科学の教科書では、ヌクレオソームはジグザグ説やソレノイド説のように、規則的かつ決まった形で配列するとされてきたが、私たちの結果はこの定説を覆すものといえる。

     それではこのヌクレオソーム配列構造の中に、一定の規則性はあるのだろうか?私たちは、近くにあるヌクレオソーム同士がどのような位置関係を持つか、統計的に解析した。すると、隣り合う4つのヌクレオソームの配列構造には、正四面体型とひし形型の2つのパターンがあることが見えてきた。ゲノムは、凝集性の高い正四面体型と、凝集性の低いひし形型の2種類の状態をとることで、分子反応のオン・オフの切り替えを明確に行っているものと考えられる。こうした構造の折り畳みの2状態性はタンパク質においても存在することが知られており、それぞれαヘリックス構造・βシート構造と呼ばれている。これにちなんで、私たちは2種類のヌクレオソーム配列構造をαテトラへドロン構造・βロンバス構造と命名した。

     では、どういった因子がそれぞれの領域のヌクレオソーム配列構造の形を決めるのだろうか?ゲノムのそれぞれの領域では、タンパク質の発現に必要となるmRNA分子を生み出すためのRNAポリメラーゼや、その結合を制御する働きを持つ様々な種類の転写因子などの結合が起こると共に、ヒストンに対するメチル化やアセチル化などの様々な化学修飾が起こることが知られている。そこで私たちは、隣り合うヌクレオソーム間の距離や配向が、これらの結合・修飾が起こった領域でどのように変化するかを調べたところ、因子の種類によって有意に異なる変化が起こることを見つけた。これはつまり、ヌクレオソーム配列構造は単純にゲノムを収納する役割を持つだけでなく、ゲノムにおける様々な化学反応を制御する役割を持つことを表しているといえる。

     Hi-CO法の誕生により、細胞内のゲノムの3次元的な「形」を実験的に導出することができるようになった。今後、同手法により導出できるゲノム構造を元に、タンパク質発現制御の分子メカニズムの理解や予測を、物理・化学の知見を基に高い定量性と確度で行えるようになり、新しい疾病診断や薬剤の開発、病態理解や治療法の創生につながるものと期待できる。さらには、私たちが新たに開発したスーパーコンピュータ解析を活用して、物理理論に基づいた構造計算や反応予測を行うことで、実験的アプローチだけでは導けなかった様々なゲノムの分子機序が今後明らかになっていくものと期待している。

    5.おわりに

     近代の生命科学においては、ゲノムシーケンサーや質量分析法など、新しいテクノロジーの創出によってその進展が支えられている。私たちの研究室では、従来の学問分野にとらわれることなく、各分野の最先端の知見を元に新しい画期的なテクノロジーを生み出すことにより、医学・生命科学を飛躍的に発展させ、新しい原理の疾病メカニズム解析法と疾病治療法を開発することを目指してきた。Hi-CO法の研究においては、ゲノム生物学や生化学、計算物理学、スーパーコンピューティング、バイオインフォマティクスにまたがるアプローチを行った。その一方で、生体内の1つ1つの分子を可視化するための超高感度顕微鏡の開発[2]や、ロボティクスを用いた遺伝子発現の網羅的解析[3]、機械学習を用いたゲノム構造分析法の開発[4]や、統計熱力学に基づく単一分子の理論解析[5]などを行ってきた。上記の顕微鏡は海外最大手の顕微鏡メーカーの一つであるCarl Zeiss社から製品化(図2)を行っており、現在はその測定原理を用いた超高感度の疾病診断法の開発を進めている。こうした”学際的”研究を一緒に行うことに興味を抱いた方は、ぜひ私のアドレス(taniguchi@icems.kyoto-u.ac.jp)までご一報頂きたい。

     私たちの行っているのは医学の基礎研究であり、疾病の治療にすぐに役立てるのは難しいが、10年先、20年先の医学の飛躍的な発展のためには極めて本質的な学問対象といえるものであり、成功すれば医療を一変させることができる「夢」がある。皆様には今後とも、ご理解とご支援を賜れれば幸いである。

    図2 製品化した顕微鏡

    図2. 製品化した顕微鏡(ZEISS Lattice Lightsheet 7)

     

    参考文献

     

    [1] Ohno, M., Ando, T., Priest, D. G., Kumar, V., Yoshida, Y., Taniguchi, Y. “Sub-nucleosomal genome structure reveals distinct nucleosome folding motifs”, Cell 176, 520-534 (2019)、日本語記事:https://www.riken.jp/press/2019/20190118_1/

    [2] 谷口雄一、西村和哉:JP特許6086366号、US特許9880378号、US特許1222601号、US特許0712547号、DE実案202014011312、DE実案202014011332、EP特願2983029、EP特願3657229

    [3] Taniguchi, Y., Choi, P. J., Li, G., Chen, H., Babu, M., Hearn, J., Emili, A., Xie, X. S. “Quantifying E. coli proteome and transcriptome with single-molecule sensitivity in single cells”, Science 329, 533-538 (2010)

    [4] Kumar, V., Leclerc, S., Taniguchi, Y. “BHi-Cect: A top-down algorithm for identifying the multi-scale hierarchical structure of chromosomes”, Nucleic Acids Research 48, e26 (2020)、日本語記事:https://www.riken.jp/press/2020/20200203_1/index.html

    [5] Taniguchi, Y., Nishiyama, M., Ishii, Y., Yanagida, T. “Entropy rectifies the Brownian steps of kinesin”, Nature Chemical Biology 1, 342-347 (2005)

  • 用 語 集

    ゲノム

    生命の遺伝情報を全て含んだデオキシリボヌクレオチド(塩基と糖が結合したもの)の重合体(DNA)。アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類の塩基により構成されています。さまざまな遺伝子をコードした領域が並んでいます。

    ヌクレオソーム
    細胞内におけるゲノムDNAの最小構造単位。ヒストンと呼ばれるタンパク質に、約150~200塩基対のDNAがおよそ一周半巻き付くことで形成されます。

     

    スーパーコンピュータ

    大規模で高度な計算能力を有するコンピュータ。一般的には膨大な数のノード(CPU とメモリをセットにしたもの)に計算を並列的に行わせることで、大規模かつ高速な計算を可能としています。

  • Q&A

    記念講演の際にいただきました質問に対して、谷口先生にご回答いただきました。