略歴:
1996年 3月 大阪大学工学部応用精密化学科卒業
1998年 3月 大阪大学大学院工学研究科分子化学専攻 博士前期課程課程修了
1999年 6月 Massachusetts Institute of Technology 客員研究員
2001年 3月 大阪大学大学院工学研究科分子化学専攻
博士後期課程修了 博士(工学)取得
2001年 4月 武田薬品工業株式会社 化学研究所
2005年 4月 大阪大学大学院工学研究科 応用化学専攻 助手
2006年10月 大阪大学大学院工学研究科グローバル若手フロンティア研究拠点 特任講師
2011年 4月 - 大阪大学大学院工学研究科 応用化学専攻 准教授
2017年 4月 - 現在 大阪大学大学院工学研究科 応用化学専攻 教授
2020年11月 - 現在 阪大学先導的学際研究機構
触媒科学イノベーション研究部門 部門長(兼任)
医薬品・プラスチック・液晶などの望む機能を持つ分子を生み出すためには、その構造を構築するための手段、すなわち化学反応の開発が不可欠です。これまで多くの化学反応が発見され、その基盤となる反応理論も体系化されてきました。一方で、既存の化学反応だけではスマート材料の創製・環境調和性・持続可能性、といった現代社会の要請に応えるためには不十分であるのも事実です。本講演では、新原理に基づいた新しい有機化学反応の開発を目指す私たちの取り組みの一端についてご紹介します。(1)安定化学結合の活性化:既存の化学反応の多くは、炭素-ハロゲン結合やパイ結合など反応性に富む結合を持つ化合物を用いる必要があります。このことは化学反応に利用可能な原料を制限し、化石資源など限りある炭素資源の利用を非効率なものにしています。わたしたちは、炭素‒炭素や炭素‒酸素結合などの多様な安定化学結合を直接反応させるための触媒の開発し、化学反応の原理的な多様化への道筋をつけました。(2)貴金属を凌駕する典型元素触媒:多くの化学反応ではパラジウムなどの希少貴金属が触媒として利用されます。わたしたちは典型元素であるリンが貴金属に類似する酸化還元能を示し、貴金属を用いた場合でさえ困難であったフッ素化反応などに対し触媒作用を示すことを明らかにしました。(3)炭素原子1つを正確に埋め込む反応:原子状の炭素は極めて寿命が短く、選択的な化学反応に利用することはできませんでした。わたしたちは、N-ヘテロ環状カルベンという安定な有機分子が炭素原子等価体として振る舞うことを発見し、一つの炭素中心に対して4つの共有結合を一段階で形成する反応を開発しました。
*動画で記念講演をご覧いただけます。
有機化学反応の定石に挑む
医薬品・プラスチック・液晶など、私たちの身のまわりには有機化合物があふれています。これらの有機化合物が望む機能を発現しているのは、それらの化学構造と密接な関係があります。したがって、望む機能を持つ有機化合物を生み出すためには、その構造を構築するための手段、すなわち化学反応の開発が不可欠です。1828年にドイツのヴェーラーらにより尿素がフラスコ内で化学合成されて以来、人工的に有機化合物を合成するための方法論が多く開発されてきました。21世紀になった今日でも新しい化学反応が続々と開発されており、不斉水素化および酸化・メタセシス・クロスカップリングなどノーベル化学賞の授賞対象となったものも多くあります。新反応の発見は既存の物質製造プロセスを効率化するだけではなく、それまで存在しなかった新物質の化学合成を可能とし、社会に大きなインパクトを与えてきました。一方で、既存の化学反応だけではスマート材料の創製・環境調和性・持続可能性、といった現代社会の要請に応えるためには不十分であるのも事実です。これらの難題を解決するためには19世紀から蓄積された有機化学反応の定石にとらわれない自由な発想に基づいた新反応の開発が必要であると私たちは考えています。本講演では、そのような私たちの取り組みの一端について紹介します。
化学反応とは原料分子が持つ化学結合を切断し、構成原子間で新しい結合を形成するというプロセスです。このプロセスを効率よく進行させるには、できるだけ弱い結合を切断し、より強い結合をつくることが必要です。したがって必然的に既存の化学反応の多くは、炭素-ハロゲン結合やパイ結合[1]などの反応性に富む弱い結合を持つ化合物を用いるのが定石でした。一方、この定石は化学反応に利用可能な原料を制限し、化石資源など限りある炭素資源の利用を非効率なものにしているという側面もあります。有機化学の世界では、この問題を解決するためにそれまで反応性が低いと考えられていた炭素-水素結合[2]を利用する化学反応が発見され有機化学反応の新しい定石となりました。一方、炭素-水素結合以外にも安定すぎるために有機化学反応に利用されていない化学結合は依然としてたくさんあります。私たちは、炭素-炭素や炭素-酸素結合などの多様な安定化学結合を直接反応させるための触媒の開発し、化学反応の原理的な多様化への道筋をつけました。たとえば、私たちが開発した炭素-酸素結合を切断する触媒を使うことで、これまでは炭素-ハロゲン結合を含む原料を用いる必要があった反応を、ハロゲンを含まないフェノールの誘導体を原料とすることができるようになります。このことはハロゲンを含む廃棄物を回避したり、化石資源ではなくバイオマス由来の炭素源の利用を可能にしたり、既存の有用物質の化学構造の修飾を可能にしたりと、ものづくりに様々な恩恵をもたらします。
また、私たちは炭素-炭素結合を切断する化学反応の開発にも成功しました。炭素-炭素結合は分子の骨格を構成する安定な結合であり、選択的に切断して化学反応に利用することは通常容易ではありません。私たちはアミドというありふれた分子中の炭素-炭素結合を切断し、そこへ別の分子を挿入したり、あるいはアミド基を取り除いたりする化学反応を発見しました。これらの反応は、一旦つくった有機化合物の分子骨格を伸ばしたり縮めたりと後から改変するための技術を開発するための第一歩となる成果であると考えています。
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[1] 有機化合物を構成する共有結合は各原子の持つ原子軌道の重なり合いにより説明されます。この際、原子軌道が2つの原子核を結ぶ直線上で正面から重なる場合をシグマ結合、原子核を結ぶ直線上ではなく側面で重なる場合をパイ結合といいます。
[2] 炭素-水素結合を選択的に直接化学反応に利用することは困難とされていましたが、1993年の村井眞二ら(大阪大学)の発見を契機に有機化学反応の新しい潮流となりました。
多くの化学反応ではパラジウムなどの貴金属が触媒として利用されます。もし貴金属の代わりに、より豊富に存在する典型元素化合物[3]を触媒として利用できれば希少資源への依存を低減することができます。しかし、それには学術的に大きなチャレンジを要します。貴金属に代表される遷移金属元素[3]は価電子[4]がd軌道[5]に収容されるため複数の酸化状態が安定であり、分子を配位させる能力にも優れます。遷移金属の持つそれらの特徴が触媒としての機能発現の鍵となっています。一方、典型元素では価電子が存在するのはp軌道[5]であるため上記のような触媒作用に必要な性質を一般に示しません。私たちは典型元素であるリンが貴金属に類似する酸化還元能を示し、一般に安定な3価の状態と高配位5価の状態の相互変換が可能であることを発見しました。このことを活用することで、3価のリン化合物が遷移金属と同様の酸化還元をともなった触媒作用を示すことを明らかにしました。例えば、このリンの酸化還元触媒作用を活用することで、フッ素化合物の炭素-フッ素結合を切断し、そこへアルキンを挿入するという新しい化学反応を開発しました。これらの化学反応は、貴金属を用いた場合でさえ困難であった化学変換であり典型元素が遷移金属以上の特異な触媒能を示し得ることを実証しました。
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[3] 周期表において1,2および13~18族元素のことを典型元素、3~12族元素のことを遷移金属とよびます。
[4] 原子が持つ電子のうち、もっとも外側の軌道に収容されている化学結合に関与する電子。
[5] 原子が持つ電子が収容される軌道にはs軌道、p軌道、d軌道などがあり、それぞれ1種類、3種類、5種類の軌道から構成されます。
私たちが有機化学を学ぶときに最初に教わるのがオクテット則です。炭素を基本構成単位とする有機化合物は炭素原子のまわりにある価電子数が8個になるように化学結合(共有結合)を形成します。しかし実際には価電子数が8個より少ない化学種も存在し、それらは有機化学反応において重要な役割を果たしています。価電子が7個である中性炭素種はラジカルとよばれ、ハロゲン化物などの安定な前駆体から容易に発生可能です。ラジカルはオクテット則を満たしていないため不安定ですが、裏を返せば高い反応性を示すということであり、ラジカル中間体を経由する様々な変換反応が有機化合物の合成において活用されています。同様に価電子が6個であるカルベンや価電子が5個であるカルバインという炭素種も知られており、それぞれ共有結合を2つあるいは3つ新たに形成できる化学種として有機化学反応で利用されています。電気的に中性な炭素化学種の中で価電子数の最も少ないのは炭素原子です。炭素原子は価電子を4つしか持たないことから予想されるとおり、極めて不安定な化学種です。それゆえ選択的に反応させることは困難ですが、一挙に4つの共有結合を形成可能な魅力的な反応中間体ともいえます。実際、アーク放電によりグラファイトから発生させた炭素原子がべンゼンなどの有機化合物と特異な反応を起こすといった報告は古くからありました。しかし、複数の生成物を与えるうえに収率は1%未満と、そのままでは有機合成反応として利用することはできませんでした。合成化学者に利用しやすい熱や光のエネルギーにより分解し、炭素原子を放出する分子もいくつか報告されていますが、裸の炭素原子の高すぎる反応性を制御し、有機合成反応として利用するには至っていません。最近私たちは、炭素原子に比べるとはるかに安定な有機化合物であるN-ヘテロ環状カルベン[6](以下、NHC)を炭素原子等価体として用い、炭素原子1つだけを原料分子に選択的に導入する反応を発見しました。具体的には、カルボン酸とアミンとの反応により簡単に手に入るアミドという化合物に対してNHCを反応させると、炭素原子一つだけが選択的に取り込まれγ-ラクタムという環状の化合物が得られるということを発見しました。この反応では、一つの炭素中心に対して4つの共有結合が一段階で形成されます。「単純な構造の原料から複雑な分子構造をいかに効率よくつくるか」ということは、有機化学における永遠の課題の一つです。本反応はそのための全く新しいアプローチとなると私たちは考えています。
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[6] 窒素を含む環において窒素原子の隣接位にカルベンを持つ化学種をカルベンの中でも特にN-ヘテロ環状カルベン(NHC)とよびます。カルベン炭素の空軌道へ窒素の非共有電子対が供与される効果により、通常のカルベンよりも安定に存在します。多くのNHCやその前駆体が市販されており、有機化学研究に広く用いられています。
私は小学生のころ、当時はやっていたロボットアニメのプラモデルを作るのに熱中していました。市販のキットを単に作るだけではなく、細部に手を加えていかによりカッコよく仕上げるかに苦心していました。研究者となった今でも分子の世界で同じことをやっている気がします。化学は構造と性質の関わりを明らかにする学問です。紙と鉛筆さえあればいくらでも自分で好きな構造を想像し、デザインすることができます。また、大がかりな装置などなくても昔ながらのフラスコや試験管を使って、自分が描いた構造を実世界で創れるかどうかを試すことも比較的簡単です。このお手軽さに反して、ひとたび創造された一つの分子や物質が世界を一変するような力を持っているかもしれないのです。こんなワクワクする化学の世界に一人でも多くの人が興味を持つきっかけになればと願っています。
1828年にドイツのヴェーラーらにより尿素がフラスコ内で化学合成されて以来、人工的に有機化合物を合成するための方法論が多く開発されてきました。21世紀になった今日でも、新しい化学反応が続々と開発されており、不斉水素化および酸化・メタセシス・クロスカップリングなどノーベル化学賞の授賞対象となったものも多くあります。新反応の発見は、既存の物質製造プロセスを低環境負荷・高効率省資源型へと革新するだけではなく、それまで存在しなかったキラル化合物・π共役分子あるいは高分子の化学合成を可能とし、社会に大きなインパクトを与えてきました。
化学反応を加速する物質で反応の前後で変化しないものを触媒とよびます。反応の途中で出発物質と相互作用し、触媒が存在しない場合には見られない中間体や遷移状態を形成することにより化学反応を促進します。触媒は溶液中に反応物と一緒に溶けて作用する均一系触媒と、溶けずに固体の表面で作用する不均一系触媒に分類されます。本講演では、前者の触媒作用を扱っており、有機化合物そのものや金属に有機化合物が配位した有機金属錯体といった分子が触媒作用を示すため分子触媒ともよばれています。
周期表において1,2および13~18族元素のことを典型元素、3~12族元素のことを遷移金属とよびます。多くの遷移金属は典型元素に比べて多様な酸化状態をとり、異なる酸化状態間の相互変換が容易であるという特徴があります。その特徴が遷移金属の触媒能と密接に関わっています。
有機化合物を構成する共有結合は各原子の持つ原子軌道の重なり合いにより説明されます。この際、原子軌道が2つの原子核を結ぶ直線上で正面から重なる場合、その結合をシグマ結合とよびます。一方、2つの原子軌道が原子核を結ぶ直線上ではなく側面で重なることにより形成される結合をパイ結合といい、シグマ結合に比べて軌道の重なりが有効でないため弱い結合となります。二重結合や三重結合といった不飽和結合は、1つのシグマ結合と1つあるいは2つのパイ結合から構成されます。
価電子を6個しか持たず電荷を持たない二価の炭素化学種をカルベンと言います。その中で、窒素を含む環において窒素原子の隣接位にカルベンを持つ化学種を特にN-ヘテロ環状カルベン(NHC)とよびます。カルベン炭素の空軌道へ窒素の非共有電子対が供与される効果により、通常のカルベンよりも安定に存在します。多くのNHCやその前駆体が市販されており、有機化学研究に広く用いられています。
Q&A
記念講演の際にいただきました質問に対して、岡田先生にご回答いただきました。
<原理・適用可能性について>
ゲノムワイド関連解析にて、「対象物質との関連性を評価する」とありましたが、具体的にどの様に評価しているのでしょうか?
ゲノム解析を使って、効きそうな薬を選ぶときには、どういった点をみて選ぶのでしょうか?
再構築の概念がよくわからないです。
日本人に特異的なウイルスや菌を、腸内サンプルから再構成するとお話されていましたが、シークエンス解析をした後、どのように再構成するかについて教えていただきたいです。
どのようにしてこれは(身長と)関係しているのが分かるのですか?
なんでゲノムによって大きく薬の効きが違うのでしょうか?
ゲノムを基にした創薬は非常に効率的であることがわかりましたが、先生はこの製薬方法に何かしらデメリットなどを感じている点はありますか?
1人1人に対応した医薬品を作った場合、どのように治験を行うのでしょうか?
次世代シークエンサーによってゲノム配列の高速処理が可能になって、たくさんの情報をPythonやRを使って整理するというバイオインフォマティックスというものを聞いたことがあり、何だか似ているなと思いました。それと遺伝統計学はどう違いますか?
自分の家族がコロナウイルスにかかったときに、私一人だけコロナウイルスにかかりませんでした。遺伝子解析で、何故家族の中で私だけコロナウイルスにかからなかったのかというのは分かるのでしょうか? 遺伝子も似ていて、一緒に生活していた家族がかかって、私はかかっていないのが不思議です。(一人がかかって、自粛中に他の家族がかかりました)
これからゲノム解析の研究が進んでいくと、予防接種や薬の副作用の有無・程度等のリスクが事前に分かるのでしょうか? 全員一緒の予防接種から個人に沿った予防接種等に変わっていくのでしょうか?
<倫理面の課題について>
ゲノムによって個人の病気が予測できてしまうことから、倫理的に研究が難しかったことはありますか?
ヒトゲノムの情報はどこから手に入れるのでしょうか? また、一般に公開されているとのことですが、プライバシー保護についてはどのように考えられているのでしょうか?
ここまで技術が進化するとcivilによる管理、統制ができなくなるのではないですか?(閉鎖的技術になりかねないのでは)
地域間での医療の差がより開くのではないですか?(個別化医療できるかできないかは、かなり大きな差だと思います)
中国などではすでに胎児のヒトゲノムを解析してその胎児の先天的な病気だけでなく、容貌ですらも編集して親の希望に沿って子供が生まれるということがあったそうですが、先生はこのことに対してどう思われますか? ヒトゲノムの情報の取扱いについて先生の意見をお聞かせください。
<その他>
DOCK2遺伝子がコロナ重症化リスクに関係があると伺ったのですが、その遺伝子を活性化させる物質もわかっているのでしょうか?
遺伝によって起こり得る「がん」があると思いますが、日本人の多くががんで亡くなるという今日において、どうしてがんに効く薬があまりでないのでしょうか?
体内の菌と疾患の関係性を明らかにする方法には、どのようなものがありますか?
自己免疫疾患によって特定のウイルスが減少していることが分かりましたが、ウイルスは疾患によって減少したのか、それとも減少したことが発症のトリガーとなったのか、どうお考えですか?
菌やウイルスの数を調べた上で、見かけの関連ではなく、本当に疾患に関連あるのか、それが疾患の原因なのか結果なのかについてはどのように調べるのでしょうか?
「思わぬところが病気の原因になることがある」とのことでしたが、その場合、どうやってその原因を発見しているのでしょうか?
私は、生物の中にあるものの未知なる役割を見つけることに関心があります。ゲノムの他、酵素などのタンパク質、補酵素などとなるビタミン、細菌など色々なものが気になっていますが、おすすめはありますか? また、読むとよいと思う本をぜひ教えてください。
関係している遺伝子から作られるたんぱく質は調べないのに、本能といわれるものはどのようにして遺伝子にありますか?