• 第43回(令和7年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

    北島 智也(きたじま ともや) 46歳

    現職: 理化学研究所・生命機能科学研究センター 

        副センター長・チームディレクター  

        https://chromosegr.riken.jp

    略歴:

    2001年3月 東京大学理学部生物化学科卒業

    2003年3月 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了

    2004年7月 東京大学分子細胞生物学研究所 助手

    2006年2月 東京大学 博士(理学)取得

    2007年4月 European Molecular BiologyLaboratory(ドイツ・ハイデルベルク)

            博士研究員(日本学術振興会海外特別研究員、HFSP長期フェロー)

    2012年1月-現在 理化学研究所発生・再生総合科学研究センター

            (現 生命機能科学研究センター)チームリーダー

            (現チームディレクター、2019年4月より兼・副センター長)

    2012年4月-現在 京都大学大学院生命科学研究科 客員准教授

            (2020年4月より客員教授)

  • 研究業績:卵子の老化にともなう染色体数異常の原因解明と抑止技術の開発

     卵子は精子と受精することで次世代のすべての細胞の起源となります。親から次世代へ遺伝情報を正しく引き継ぐためには、卵子は正常な数の染色体を持つ必要があります。ところが、ヒトを含む哺乳類の卵子では、染色体数異常の頻度が極めて高く、さらに母体の加齢にともない上昇します。このことは、不妊、流産、そしてダウン症など先天性疾患を持つ出生の原因です。なぜ、次世代にとって重要な細胞である卵子において染色体数異常が頻発してしまうのでしょうか。私たちは、哺乳類モデルとしてマウスを用い、卵子の染色体数異常を引き起こす原因である染色体分配エラーのメカニズムを解明し、その抑止技術を開発しています。これまでに、卵子に特有な細胞特徴と、加齢にともなう欠損の両方が、染色体分配エラーのリスクを高めていることが分かりました。まず、卵子が巨大な細胞質を持つことや、中心体を持たないという特徴が、染色体分配装置である紡錘体の不安定性をもたらし、エラーのリスクを高めることが分かりました。また、老化マウスから得た卵子を生きたまま動画撮影したところ、染色体が早めに分離してしまうことで分配エラーに至ることが分かりました。さらに、これらのエラーを抑止するために、細胞内で紡錘体と染色体の動きを操作するマイクロマシンとして人工動原体を開発しました。この人工動原体は老化マウス卵子の中で紡錘体に自律的に働きかけ、染色体の早期分離を妨げて、染色体数異常を抑えることが分かりました。この研究は、生命のはじまりの細胞である卵子における染色体分配機構の不完全性の謎を解く手がかりになるとともに、不妊治療などで用いられる生殖補助技術に貢献する可能性があります。

  • 第43回大阪科学賞 記念講演

    卵子の老化の原因解明と抑止技術の開発

    国立研究開発法人理化学研究所 生命機能科学研究センター
    副センター長・チームディレクター
    北島 智也

    はじめに

     卵子は女性の生殖細胞である卵母細胞からつくられる配偶子で、精子と受精して次世代のすべての細胞の起源となります。したがって、卵子は次世代へ生をつなぐための「はじまりの細胞」と呼べます。卵子を介して母から子へと遺伝情報を伝える担い手となるのが、DNAを含む構造体である染色体です。ヒトでは1番から22番までの22種類の常染色体と、XとYの2種類の性染色体があります。もし、卵子が異常な数の染色体を持つと、それは不妊、流産、先天性疾患(ダウン症など)の原因となります。卵子は他の細胞に比べて染色体数異常になりやすく、さらに母体の加齢とともにその頻度が上昇します。この現象はよく「卵子の老化」とも表現され、不妊治療における大きな壁ともなっています。なぜ、次世代へ生をつなぐ「はじまりの細胞」としての役割を担う卵子で、染色体数異常が起こりやすいのでしょうか。

     私たちの研究室では、卵子の染色体数異常の原因を解明し、さらにはそれを抑止する技術を開発するための基礎研究を行っています。卵子の染色体数を決定するのは、一段階前の細胞である卵母細胞における染色体分配です。卵母細胞は減数分裂と呼ばれる特別な様式の細胞分裂を行い、娘細胞として生まれる卵子に染色体を分配します。卵子が染色体数異常となるのは、この際の染色体分配にエラーが起こるためです。では、卵子をつくるための染色体分配で、特に母体が加齢したときに、エラーが起きやすいのはなぜでしょうか。

    1.老化卵子では染色体の早期分離を経てエラーが起こる

     私たちはそれを解明するために、ヒトと同じ哺乳類であるマウスをモデルに実験を行いました。加齢させた老化マウスから卵母細胞を取り出し、顕微鏡下で生きたまま培養して卵子へと成熟させることで、染色体が分配エラーに至るまでの動きを完全追跡できる動画を得ることに世界で初めて成功しました。その動画には、染色体分配エラーの原因イベントが記録されていました。正確な染色体分配は、分配の瞬間に一本の染色体が二本に分離することで達成されます。ところが、老化した卵母細胞では、染色体分配よりずっと早いタイミングで一本の染色体が二本に分離してしまっていました(図1)。これを早期分離と呼びます。これら早期分離した染色体が、数異常となって卵子へと分配されていました。この観察から、染色体の早期分離が、老化卵子における染色体数異常の原因であると考えられました。

    図1:老化マウス卵子における染色体の早期分離。染色体(赤)と動原体(緑)の顕微鏡画像。矢頭は早期分離して二つに分かれた染色体を示す。

    2.染色体分配装置の内側はエラーの原因を引き起こす危険地帯

     次に、どのような染色体が、どのような機序で早期分離するのかを調べました。そのために、生きたマウス卵子内の染色体の番号を顕微鏡下で特定しながら追跡できる技術を開発しました。さまざまな番号の染色体の追跡結果を大量に取得してビッグデータとし、それをもとに定量解析を行ったところ、小さいサイズの染色体は染色体分配装置である紡錘体の赤道面の内側へ、大きいサイズの染色体は外側へと配置されやすいことが分かりました。どうやら、内側と外側では違いがありそうです。では、分配エラーの原因である染色体の早期分離はどこで起きるのでしょうか?調べると、ほとんどの早期分離が内側で起きていました(図2)。ということは、小さいサイズの染色体ほど内側へ動きやすく、そこで早期分離して分配エラーになりやすいということです。これらの観察結果から、染色体分配装置の内側は染色体にとって危険地帯であり、そこに配置されることが、分配エラーの原因である早期分離のリスクを高めると考えられました。

    図2:染色体の早期分離は内側で起こる。染色体(灰色)の配置を上から(左図)と横から(右図)見ている。

    早期分離した染色体を紫色で色付けしている。緑の球は動原体の位置。

    3.人工動原体で染色体を危険地帯から逃がすことで卵子エラーを抑止する戦略

     もし、この仮説が正しければ、染色体の内側への動きを妨げることで、分配エラーを抑止できるはずです。でも、どうやって染色体の動きを操作できるでしょうか。そのために、染色体がどうやって動いているかを考えてみます。染色体は自身の動きを操縦する運転席を持っています。それが動原体です。動原体は、染色体のセントロメアとよばれる領域に形成される分子複合体で、染色体分配装置と接続して染色体を動かします。そこで私たちは、卵子の中に新たな運転席として人工動原体をつくることで、染色体の動きを変化させることを発想しました。人工動原体は、生きたマウス卵母細胞の中に微小ビーズを注入し、その表面に動原体タンパク質を付着させることで作成されました。この人工動原体ビーズは自律的に染色体分配装置と接続し、染色体のように動ける性能を持ったマイクロマシンです。興味深いことに、この人工動原体ビーズは、染色体にとって危険地帯である染色体分配装置の内側に自ら身代わりとなって入っていき、染色体がそこに配置されないよう防いでくれる能力を持っていました(図3)。まさに、私たちが欲しいと願っていた性能です。そこで、老化マウスの卵母細胞に人工動原体ビーズを入れてみました。すると、染色体分配エラーの原因である染色体の早期分離が抑えられることが分かりました。私たちの仮説と一致する結果です。それと同時に、老化卵子の染色体数異常を抑止するための技術開発へ向けた道がついに拓かれました。

    図3:卵子内で人工動原体ビーズは染色体の内側配置を防ぐ。人工動原体ビーズ(緑)と染色体(紫)を示す。

    横から見た図で、中期において染色体と同様にビーズが整列していることが分かる(白矢頭)。

    これを上から見ると、人工動原体ビーズは内側領域(黄色点線)を占領し、染色体がそこに入らないよう防ぐことが分かる。

    4.まとめ

     この研究を開始した13年前、私は卵子の老化を抑止するのは不可能ではないかと思っていました。卵子の染色体数異常の原因を解明できたとしても、その原因を修正するのは無理筋であることを示すことになるだろうと予期していたのです。原因が染色体の早期分離であることが分かった時点で、その思いはさらに強まったものです。ところが、研究室メンバーの地道な努力と幸運な偶然も重なり、卵子の染色体数異常を抑止する技術開発への道筋が拓けました。可能性が0だったものを1にするのは基礎研究の醍醐味です。今では私は、卵子の老化は抑止可能であり、人類が生殖補助技術に活用する未来はいずれ来るだろうと思っています。でも正しく活用するためには、何が必要でしょうか。それはもしかしたら、私がこの研究を開始するきっかけとなった、まだ解けていない疑問と関係するのかもしれません。なぜ、世代をつなぐ「はじまりの細胞」である卵子がエラーを起こしやすく、不完全にできているように見えるのか。そこには意味があるのでしょうか、ないのでしょうか。答えがあるのかも分かりませんが、それを追求せずにはいられません。

  • 用 語 集

    染色体

     遺伝情報の運び手で、DNAとそれに結合するタンパク質などの分子で構成されます。ヒト女性の細胞は通常、22種類の常染色体と1種類の性染色体(X染色体)を二本ずつ持ち、そのうち一本は母から、もう一本は父から受け継いだものです。男性の細胞は、同様に22種類の常染色体を2本ずつに加え、性染色体として父から受け継いだ1本のY染色体と、母から受け継いだ1本のX染色体を持ちます。

    卵子と精子

     卵子と精子は配偶子と呼ばれる細胞で、有性生殖を担います。卵子は卵巣内で卵母細胞という生殖細胞からつくられます。その際には減数分裂という特別な細胞分裂が行われ、卵子に染色体が分配されます。卵子が精子と融合することで受精卵となり、次世代のすべての細胞の起源となります。

    染色体分配

     細胞は分裂する際、DNA複製されてできた染色体コピーを娘細胞へ均等に分配し、同一の染色体セットを持たせます。卵子や精子をつくるために生殖細胞が行う減数分裂においては、母と父から受け継がれた染色体どうしが組み換えられたあと、卵子や精子に染色体が分配されます。

    染色体分配装置、動原体

     染色体分配のための細胞内装置は紡錘体と呼ばれます。紡錘体の主要な構成因子の一つは、チューブリンというタンパク質が糸状に重合した微小管です。多くの動物細胞は中心体を二つ持ち、それらは紡錘体の両極に位置して微小管重合を担います。微小管は、染色体それぞれが持つ動原体のペアに接続します。動原体はセントロメアと呼ばれるDNA領域と100種類以上のタンパク質を含む巨大複合体で、微小管と接続して染色体の動きを制御する能力を持っています。微小管は動原体ペアに接続すると、それらを紡錘体の両極に向けて引っ張ります。これが、染色体を分配するための牽引力となります。卵子は中心体が無いため、他の細胞とは異なる機構を用いて紡錘体を形成すると考えられます。

    先天性疾患、ダウン症

     先天性疾患とは、生まれながらにして持つ疾患です。ダウン症は先天性疾患の一つで、通常は細胞あたり2本の21番染色体が、生まれつき3本あることで引き起こされます。この状態は21番トリソミーと呼ばれます。過剰な21番染色体は卵子由来であることが多く、それは卵子がつくられる際の染色体分配エラーによる数異常に起因します。母体の加齢にともない、次世代のダウン症の頻度が上昇します。

    生殖補助技術

     生殖を成立させるために用いられる技術で、体外受精や顕微授精などの技術を含みます。もともとは畜産などの分野で動物生産のために発展した技術で、今では不妊治療に応用されています。不妊治療のための技術として生殖補助医療とも呼ばれます。体外受精による生殖補助医療への貢献により、ロバート・エドワーズ氏に2010年ノーベル医学生理学賞が贈られました。