• 第43回(令和7年度)

    大阪科学賞(OSAKA SCIENCE PRIZE)受賞者の横顔

    畠山 琢次(はたけやま たくじ) 47歳

    現職: 京都大学大学院理学研究科 教授  

        https://hatakeyama-lab.kuchem.kyoto-u.ac.jp/

    略歴:

    2000年3月 東京大学理学部化学科卒業

    2005年3月 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了

    2005年4月 シカゴ大学化学科 博士研究員

    2006年1月 京都大学化学研究所 博士研究員

    2006年3月 京都大学化学研究所 助手

    2007年3月 京都大学化学研究所 助教(改組により)

    2011年4月 科学技術振興機構さきがけ研究者(兼任)

    2013年4月 関西学院大学理工学部 准教授

    2013年4月 京都大学触媒・電池元素戦略ユニット拠点准教授(兼任)

    2018年4月 関西学院大学理工学部 教授

    2021年4月 関西学院大学理学部 教授(改組により)

    2022年4月-現在 京都大学大学院理学研究科 教授

  • 研究業績:One-potおよびOne-shotホウ素化を鍵とした多重共鳴材料の創出

     ホウ素は炭素の隣にある第13族の元素で、身近なところでも活躍しています。たとえば、ガラスの材料となる「ホウ砂」や、防虫剤に使われる「ホウ酸」がその代表例です。また、半導体(シリコン)にホウ素をほんのわずか加える「ドーピング」という技術は、スマホやパソコンの心臓部であるCPUやメモリチップをつくる上で欠かせません。一方で、ホウ素を含む有機分子は興味深い特性を示すことが知られていましたが、ホウ素と炭素の結合は壊れやすく、「電子デバイスには使えない」と長い間考えられてきました。そこで私たちは、ホウ素を分子内部に組み込み、安定化させることに挑戦しました。そのために開発したのが、「One-potホウ素化」と「One-shotホウ素化」という新しい合成手法です。これにより、従来の方法では合成が難しかった“安定なホウ素含有分子”を創り出すことが可能になりました。さらに、ホウ素と窒素を特定の配置で組み合わせることで「多重共鳴効果」を生み出し、分子中の電子の分布を原子レベルで精密にコントロールできるようになりました。こうして設計された材料は「多重共鳴材料」と呼ばれ、電流を流すと世界最高レベルの高色純度で発光し、しかも十分な安定性を示します。この成果は大きな注目を集め、世界中の大学や企業が研究を進めており、現在では、iPhone、Galaxy、AQUOS、Xperiaといったスマートフォンに加え、有機ELテレビ、Apple Watch、Nintendo Switch、Sony PlayStation VRなど、皆さんの身近な機器の青色発光材料として広く実用されています。

  • 第43回大阪科学賞 記念講演

    世界を照らすホウ素の発光材料

    京都大学大学院理学研究科 教授
    畠山 琢次

    はじめに

     ホウ素は炭素の隣にある第13族元素で、ガラスの材料となる「ホウ砂」や、防虫剤に使われる「ホウ酸」として利用されています。また、シリコンにホウ素を少量加えるドーピングは、スマホやパソコンの心臓部である半導体に欠かせない技術です。一方で、ホウ素–炭素結合は切断されやすく、ホウ素を含む有機分子はエレクトロニクス分野での実用が困難と考えられてきました。そこで私たちはホウ素を窒素と共に分子内部に組み込むことで安定化させ、さらにその配置を工夫して電子の存在場所を精密に制御しました。この設計から生まれた発光材料は、世界最高レベルの色純度と十分な安定性を持ち、現在では有機ELディスプレイに広く用いられています。本講演では、ホウ素の性質と研究開発の道のりについて紹介します。

    図1 ホウ素の応用例

    1.「One-potホウ素化」と「One-shotホウ素化」の開発

     ホウ素を含む有機分子は、興味深い電気化学特性や光学特性を示すことから、以前から様々な研究が行われてきました。例えば、BODIPYという色素は比較的高い水中安定性と優れた蛍光特性を持ち、病気の細胞を光らせる診断や、細胞内での脂肪の動きを追跡する研究に役立っています。また、半導体特性を示したり、周囲の環境やイオンの存在によって色が変化する分子も報告されています。しかし、ホウ素–炭素結合は酸化還元条件下で不安定になりやすく、「電子デバイスへの応用は難しい」と長い間考えられてきました。そこで私たちはホウ素を分子内部に組み込み安定化させることに挑戦し、そのために「One-potホウ素化」と「One-shotホウ素化」という新しい合成手法を開発しました。これにより、従来の方法では合成が難しかった“安定なホウ素含有分子”を自在に設計できるようになり、今では世界中の大学や企業でこの反応が利用されています。

    図2 One-potおよびOne-shotホウ素化

    2.有機ELディスプレイの仕組み

     電気をよく流す「導体」と全く流さない「絶縁体」の中間の性質を持つ材料を「半導体」といいます。半導体は電気信号を増幅したり、ON/OFFを切り替えるスイッチとして使われ、トランジスタの基本材料となっています。シリコンは最も代表的な半導体で、パソコンのCPUやメモリのトランジスタは基本的にシリコンでできています。一方、有機分子にも半導体特性を持つものがあり、「有機半導体」として長年研究が進められてきました。

    有機半導体の薄膜に電圧をかけると、まず最高被占軌道(HOMO:HighestOccupied Molecular Orbital)から電子が取り出され、そこに正孔(ホール)が残ります。一方で、外部から注入された電子が最低空軌道(LUMO:Lowest Unoccupied Molecular Orbital)に入ります。その結果、分子は励起状態(励起子)と呼ばれる高エネルギー状態になり、これが基底状態に戻るときに光を放ちます。この現象をエレクトロルミネッセンス(EL)と呼び、これを利用したデバイスが有機EL素子(= 有機発光ダイオード/OLED:Organic Light-EmittingDiode)です。有機ELディスプレイが本格的にスマートフォンやテレビに使われ始めたのは2010年前後ですが、当初は発光特性が十分ではありませんでした。その理由のひとつは、有機発光材料のスペクトルが幅広く、高色純度の赤・緑・青を得にくかったことです。そのため、カラーフィルターで不要な光をカットして利用していましたが、光が弱くなり消費電力も増大していました。

    図3 有機ELディスプレイの赤・緑・青の画素とスペクトル

    3.多重共鳴材料の開発

     一般的な有機発光材料のLUMOとHOMOは主として原子間に存在するため、励起状態から基底状態に戻る際(LUMOからHOMOに電子が遷移する際)に結合の伸縮が伴います。その結果、結合の振動エネルギー(約1400–1650cm⁻¹、青色光460 nmの場合には発光スペクトルに約35nmの広がりを与えることに相当)に応じて、複数の発光線が重なって観測され、スペクトルが幅広くなってしまいます。これは科学者にとっては常識であり、長らく克服すべき課題として取り組まれることはありませんでした。そこで私たちは、ベンゼン環の1,2位(オルト位)にホウ素と窒素を導入し、その「多重共鳴効果」によってHOMOとLUMOを隣り合う炭素原子に交互に局在化させる分子設計を考案しました。これにより、電子遷移に伴う結合の伸縮と振動との相互作用をほぼ完全に抑制することに成功しました。このように多重共鳴効果を利用して設計された発光材料は「多重共鳴材料」と呼ばれ、極めて狭い発光スペクトルと高い安定性を両立できる点に特徴があります。
     この設計指針に基づいて2016年に開発した「DABNA」は、半値幅25 nm程度の極めて狭い青色発光スペクトルを示し、さらに光をほぼ100%効率的に取り出せる蛍光量子収率と高い安定性を兼ね備えています。その後、多くの企業でこの骨格を基盤とした誘導体が開発され、2019年から有機ELディスプレイ用材料として実際に社会実装が始まりました。現在では、iPhoneやGalaxyなどのスマートフォンに加え、有機ELテレビ、Apple Watch、NintendoSwitchなど、皆さんの身近な機器の青色発光材料として広く使われています。また最近では、無機発光材料をも超えるほどの超狭帯域青色発光、さらに緑色や赤色の発光を示す多重共鳴材料の開発にも成功しており、フルカラー有機ELの高性能化と次世代ディスプレイへの応用が期待されています。

    図4 一般的な有機発光材料と多重共鳴材料

  • 用 語 集

    色純度

     光(可視光)は波長によって色が異なる。通常の光源は、一定の波長幅を持った発光スペクトルを示しますが、その幅が広ければ複数の色(波長)が混ざるため色純度が低くなります。逆に、幅が狭いほど単色光に近づき色純度が高くなります。

    エレクトロニクス(Electronics)

     電子の流れや振る舞いを制御し、その性質を利用して情報処理や信号の伝達、エネルギー変換を行う技術分野です。

    ホウ素(Boron)

     周期表の第13族元素で、炭素の隣に位置します。有機分子中では3つの共有結合と1つの空軌道をもつ平面構造(sp²混成軌道)をとり、この空軌道を利用した電子受容性や発光特性の発現が可能となります。

    窒素(Nitrogen)

     周期表の第15族元素で、炭素の隣に位置します。有機分子中では3つの共有結合と1つの孤立電子対をもち、電子供与性、配位能、塩基性などの特性を生み出します。

    ドーピング(Doping)

     シリコンなどの半導体に微量の不純物元素を導入して電気伝導特性を制御する技術です。シリコンは通常4本の手(価電子)で結合しますが、価電子が3つしかないホウ素を加えると結合に空席ができます。この空席を電子が埋めることで、電子が移動した跡が「正孔(ホール)」として振る舞い、p型半導体特性を生み出します。

    有機分子(Organic Molecule)

     炭素を骨格とし、炭素–炭素結合や炭素–水素結合を基盤とする分子群です。π共役系を形成することで電子・光物性を示し、エレクトロニクスへの応用が可能となります。

    One-pot・One-shotホウ素化(One-pot・One-shot Borylation)

     分子内部にホウ素を効率的に導入する新たな合成手法です。One-potは、中間体を単離せず一つの容器内で複数の反応を連続的に進行させること、One-shotは、単一の反応操作で複数の反応を一挙に進行させることを意味します。

    HOMO(Highest Occupied Molecular Orbital)

     ある分子において、電子に占有されている分子軌道の中で最もエネルギーが高い軌道である最高被占軌道の略語です。

    LUMO(Lowest Unoccupied Molecular Orbital)

     ある分子において、電子に占有されていない分子軌道の中で最もエネルギーが低い軌道である最低空軌道の略語です。HOMOよりもエネルギーが高いため、通常は電子を持ちませんが、HOMOの電子が光エネルギーを吸収することでLUMOに励起されることがあります。また、電圧をかけてLUMOに電子を注入することも可能です。

    共鳴効果(Resonance Effect)

     共役π電子系をもつ分子は、複数の共鳴構造で書き表すことができ、実際のπ電子系は、それらの共鳴構造の中間の性質を持ちます。寄与する共鳴構造の数に応じてπ電子系が安定化したり、アニオンやカチオンを含む構造があると、その寄与に応じて電子分布に偏りが生じ、分子の性質が変化します。こうした効果を「共鳴効果」と呼びます。

    多重共鳴効果(Multiple Resonance Effect)

     ホウ素と窒素は炭素と価電子の数が異なるため、逆の共鳴効果があります。これを分子内の適した位置に同時に配置すれば、共鳴効果が強め合い、HOMOとLUMOの分布を原子単位で局在化させることができます。この「多重共鳴効果」を利用して設計された有機材料は「多重共鳴材料」と呼ばれ、狭い発光スペクトル(高色純度)、安定性、効率的エネルギー利用が可能となります。

    正孔(ホール)

     半導体に本来あるべき電子が1つなくなっている状態を意味します。半導体に電圧をかけることで電子を抜き取ると発生します。有機半導体であれば、通常は最もエネルギーの高いHOMOから電子を1つ抜き取ることで正孔を注入します。

    有機EL(有機エレクトロルミネッセンス, Organic Electroluminescence)

     半導体特性を持つ有機分子(=有機半導体)の薄膜に電圧を印加すると、正孔と電子が注入されます。両者が同じ有機分子上で出会うと、その分子は励起状態となり、基底状態に戻るときに光を放出します。このとき分子を一つの単位として見ると、まずHOMOから電子が抜き取られ、そこに正孔が生じます。そこへ外部から新たな電子がLUMOに入り込むため、結果としてHOMOからLUMOに電子が遷移したのと同じ状態になります。このプロセスによって分子が励起状態となり、光を放つのです。また、この有機ELを利用した発光素子をOLED(Organic Light-Emitting Diode)といいます。